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子どもエッセイ

食べるということ

2012/02/26

昨日、食育に関しての研修を受け、他の園のプレゼンや講義を聞きながら、ふと、そもそも食べることってなんだろう?と考えました。

私達って毎日毎日、当たり前のように何かを食べたり飲んだりしていますよね。

なんで食べるのかって言えば、お腹が減るから。

なんでお腹が減るかといえば、自分の身体が死なないように生き続けるため。

じゃあ、食べることさえすればいいのかというと、そうではないんですね。

食とこころって密接に結びついていて、食べることに関して何かを強制され続けると、徐々に何らかの警告を体が発するようになってきます。

例えば、過食や拒食などですね。

こんな話があります。

私の友人は、子どものころから、家族みんなで食事をすることを義務付けられていました。家族みんなで食事をすることは決して悪いことではないのですが、その食事の風景はとても厳格で、お箸の持ち方、食べる姿勢、食べる順番などなど、しつけがとても厳しく、少しでもやり方が違うと、お父さんから怒鳴られていたそうです。

好き嫌いなんてもってのほかです。

食事中は、必要最低限の会話のみで、静かな食卓を家族で囲む毎日だったそうです。

友人は、とにかくその食事の時間が嫌で嫌でたまらなく、お母さんが作る食事をおいしいと感じる余裕もなく、とにかく食卓に並んだものを口に詰め込み、早く食事を終わらせることが一番の目的だったそうです。

高校卒業後、その友人は、一人暮らしを始め、自炊をするようになり、ダイエットに成功したんですが、特別なダイエットをしたということはなかったんですね。

ただ、食事をちゃんと噛んで食べるようにしたということと、食事を楽しんだということだけ。

つまり、実家にいるときの食事は、嫌な時間だったため、ほとんど噛まずに飲み込んでいたのです。そして、自分が食べたい量ではなく、出されたものを全部食べなければいけなかったため、過食になっていたわけです。

そして、慢性的に悪かった胃腸の状態もよくなり、便秘も解消されたそうです。

 

もしかすると、最近の若い人たちの孤食などは、こういった家庭での融通のきかないマニュアル的な食事風景が原因のひとつでもあるのかもしれませんね。

こうするのがいい、ああするのがいいと、本やテレビなどでいろんなことがマニュアル化されていますが、そこにいる人間の状況に応じて活用しなければ、効果が出るどころか歪みが出てしまいます。

こういったことは、現代では、長い時間を過ごす場所である保育所でもみられることではないでしょうか。

そこにいる子ども達がどんな表情で食事をしているか、子ども達がその時に何を感じているか、どんな意思をもっているか、そういったことをきちんと私達が感じ取り、臨機応変に対応していくことが、現代では特に必要なのではないかと思います。

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