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子どもエッセイ

多角的な視点

2018/05/02

保育現場に勤め始めて、もうすぐ18年目に突入します。

最初は腰を据えるつもりはなく、あくまでも事務としてお手伝いの予定が、気づいたら保育の世界にどっぷりとはまってしまっています。

それほど、保育というものは魅力があり、飽きの来ないものです。

若いころから、ずっと不思議に思っていましたが、いわゆる教育界はどうしてこうも世の中とかい離したものなのか、ということです。

今でも変わらず不思議に思いますが、私たちは「人」の基礎を培う専門家です。

「人」は社会で生きていきます。社会で生きていくための基礎を培うのが乳幼児期の使命ともいえます。

それなのに、教育現場は、世の中の動きをよく知りません。

物価の変動くらいはわかるでしょうが、例えば、株価だったり、失業率だったり、非正規雇用の割合だったり、何が流行っていて、どういう職種があるのか。

知らないことは悪いことではないと思います。

問題は、知ろうとしないこと、ではないでしょうか。

そもそも、世の中で生きていくのが「人」なのに、世の中で生きていくための多くを学ぶ教育現場が世の中のことを知ろうとしない、というのは、大きな矛盾ですね。

何かのSNSで見た記事ですが、投稿者が学生時代の授業でいちばん学んで良かったと思えることが、「リボ払いの恐ろしさ」だったとのこと。

社会人なのに、社会保険の仕組みや厚生年金の仕組みを良く知らない等といったことも同様です。

現代は、情報社会と言われるほど、多くの情報があり、情報が多いということはそれだけ複雑化しているということです。

複雑な社会で生きていかなければならないのが「人」なわけですから、社会の仕組みなどを教える時間があってもいいと思うのですが・・・。

そういうと、決まって教育現場の人は、「学校は勉強をするところだ」と言います。

どうも「学び」についての固定概念が強いようです。

机に向かってじっと問題を解いたり、先生の言うことを一方的に注入するようなことが「学び」であると思いこんでいるようですね。

「人」を育てるのならば、教育現場の価値観だけに拘らず、世の中を見据えた多角的な価値観と視点からのものが必要不可欠であると思うのですが、なかなか難しいことなのでしょうか。

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