日本のこれまでの教育は、「みな同じように」「おとなのいうことを聞いて」「指示通り動く」ことを大事にされてきました。
その教育方針は、昔の時代ならばよかったのですが、今の時代の教育とは言い難いですね。
DNAの解明や医療の進歩、研究の深化などにより、ヒトは同じ個体がないことが明確になった世の中です。
そんな世の中で求められるのは、「みな同じ」ことではなく、「違う者同士の協調」です。
本当に心から可哀想だなと思うのは、「みな同じ」で「指示通り」を求められたこれまでの子どもたちが社会に出たときに、大きな失敗をしてしまっていることです。
学生の間は、「みな同じ」で「指示通り」で済んでいたのが、社会に出たとたんに、「自分で考えて」「違いを認め合って協力」しなければならないのです。
いきなり「自分で考えろ」と言われても、「指示通り」と教育されてきた人間にとっては、何を判断材料にしていいか、から困ります。
しかし、これから日本が目指そうとしている教育は、「自分の意思」を持ち、「主体的かつ自発的」に動き、「違いを認め合って協調」しながら生きていける人間づくりです。
これも時代背景によるものです。
日本は人口減を迎えています。人口減は今後、加速するでしょう。少子高齢社会も加速します。
これまで同様の「みな同じ」であった場合、滅びる時も「みな一緒」になってしまいます。
ヒトの進化論的にも、多様な人材があったほうが繁栄しやすいことは明らかです。
それは役割分担ができるからです。ヒトが役割分担で繁栄してきたことも周知のものです。
それぞれが自分に見合った役割を全うできるような教育に変えていかないと、いよいよ日本もヤバイわけですね。
ただし、役割と身分階級を一緒くたにしてしまわないようにしないといけませんが。
今の日本だと、情報リテラシーにかなり乏しいので、ネット上の記事を精査もせずに鵜呑みにして、曲解したり拡大解釈したりする傾向が強いので、役割分担=差別、と騒ぎだす人が多いのでしょうか・・・。
それはさておき、これからの世の中を見据えて、日本の教育も大きな改革に取り組み始めました。
小学校でのアクティブラーニングは、子どもの主体的で自発的な活動を基礎にすすめていくものですが、就学後に主体的かつ自発的に活動できるかは、0歳児からの教育にかかっています。