近年は社会状況の変化等により、子どもの鬱が増えているとのこと。
特に思春期を迎えた子どもたちの鬱状態が増加傾向にあるとのことです。
鬱と言えば、今では様々な知見が出てきていて、甘えや弱さから発症するものではなく、脳の神経物質などが原因であるとのことがわかっています。
しかし、まだまだ科学後進国の日本は、鬱を甘えや弱さから来るものであると思っている大人がたくさんいます。
この時代にそれはないでしょ~・・・
と個人的には思いますが、同じ保育関係者や学校関係者などでもそう思っていらっしゃる方が結構います。
真面目で勤勉な日本の国民性も関係しているのでしょうが、精神疾患に対しての無理解が様々な不幸を呼んでいます。
自殺者数は年々右肩上がりで増えるばかりなんですけどね。
自殺すら甘えや弱さといわれる始末です。
人はそれぞれ、キャパシティが違います。
同じ事柄でも、平気な人もいれば苦しい人もいます。
これは不安や恐怖などを感じる偏桃体という脳のある部分が関係しているのですが、この偏桃体が人によって大きさが違うんですね。
偏桃体が小さい人は、不安を抱えやすいですし、恐怖も感じやすい。
この部分は、鬱にも関係があります。また、虐待を受けた子どもにも、偏桃体の変形が見られます。
生まれつき小さい人は、不安や恐怖を抱えやすいわけですから、同じ事柄でも死んでしまった方がマシだ!となるくらい辛い思いを抱えることになります。
それを甘えだとか弱いからだとかの精神論で片づけてしまうのは一体どういう了見なんでしょうね・・・。
同じように、子育てや教育に関しても、様々な科学的な根拠が出てきているのに、日本は未だに、精神論で語ります。
「愛があれば!」
これは良く聞く文言ですが、間違っているとは私も思いません。
ただし。
愛があるのは大前提の話でしょ???
ってことです。
そのうえで、子どもたち何を伝えていくのか。
その部分はあまり議論されないんですよね、不思議ですよね。
おとなが考えることを放棄しているとしか思えませんね。それだけでなく、自分を省みることを放棄しているんでしょうか。
子どもには「謝りなさい」とかすぐ言うくせにね。
もちろん、おとなだって、完璧じゃないですし、間違うこともいっぱいです。
だからこそ、子どもとは人として対等であるべきだと思います。
ちなみに、国連の子どもの権利条約では、子どもも一人の人格ある人間であることが明記されています。
日本はまだまだ子どもはおとなの所有物との考え方が残っています。
近年増加傾向にある子どもの鬱に、こういった日本のおとなの態度や考え方が関係していないわけないでしょうにね。