先日ニュースで、中学生が高層階からボーリングの玉を落下させて遊んでいたとの報道がありました。
事件発覚後、児童相談所等の介入があり、警察への通報もあっているようです。
「中学生にもなって・・・」というのが一般的な感想でしょう。
ほかにも、「もう中(高)学生なのに」と思うような事件は多くありますね。
確かにそこだけ切り取って見れば、誰もがそう感じて当たり前なのですが、私は「もう」というよりも、そういった事件を起こした子どもたちの乳幼児期が気になってしまいます。
ボーリングの玉を落下させた中学生たちがどのような乳幼児期を過ごしていたかは分かりませんが、その中学生たちは乳幼児期に、「上から物を落として遊ぶ」経験をきちんとしているのかな?と最初に思いました。
「上から物を落として遊ぶ」経験は、0歳児や1歳児で存分に経験すべき発達です。
「上から」でなくても、持っているものをわざと落として、その反応を確かめたり、おとしたものを拾ってもらって手渡してもらうなどの経験は、その後の数的概念やコミュニケーション能力に大きくかかわってくる経験です。
もし、その時期に、その経験をしていなかった場合、人は後からその発達を補おうとします。
ですから、0・1歳児で経験させてもらえなかった子どもは、2歳児になってから、そこでも経験させてもらえなかった子どもは3歳児や4歳児5歳児になってから、そこでもまだ経験させてもらえなかったら小学生になってから。
というように、経験すべき時期に経験していないことは、ヒトの発達上、後からその部分を補うように遡って経験しようとします。
「それなら後からでもいいじゃないか」
と思われそうですが、確かに、後からでも経験できればいいと思います。特に学習面などは、加齢と共に理解が深まることもありますし、大人になって興味が出てきてから取り組んでも十分な結果が出ることもあります。
しかし、今回取り上げた「物を落とす」経験は、後回しにしてしまったらどうでしょう?
後回しにすればするほど、その結果が甚大な被害を伴うものになってしまうのではないでしょうか。
ボーリングの玉の例ですと、もし落下地点を人が通っていたら?
その人にあたっていたら?
最悪、即死に繋がる大変なことです。
本来経験すべき0・1歳児の時期に十分に経験していれば、0・1歳児が落とすものなんてたかが知れています。被害もほとんどありません。
多少、おもちゃが壊れた、程度のことでしょう。
(もちろん、高いところから物を落とす場合は、軽いものでないといけませんが・・・)
このように、子どもには、経験すべき時期というものがあります。
逆に言えば、その時を逃してしまうと、後からでもいいけれど、思わぬ被害が生まれたり、時間が余計にかかってしまったりする、ということです。
最近の子どもたちを見ていると、この「経験すべき時期」はすっ飛ばして、大人にとってわかりやすい結果ばかり(文字をかける、よめるなど)を子どもたちは求められているような気がします。
ただ、これはどうも、団塊ジュニアの世代からのような気もします。