現代社会では、簡単に様々な情報が入手できるようになりました。
時代と共に、家にいながら簡単に、あらゆる情報をタップひとつクリックひとつで入手できます。
情報発信のツールとしては、新聞、雑誌、テレビ、インターネット、ラジオなど、目でも耳でも情報が獲得できるようになりました。
しかし、その情報がすべて正しいものなのか、根拠のあるものなのか、は何とも言えないところです。
よくある手口が、「間違ったことは言っていないが、都合のいいように解釈したもの」をあたかも真実で、すべての情報を出しているかのように発信するやりかたです。
例えば、犯罪などが絡んでいる場合は、メディアサイドと警察サイドでの報道協定があり、すべての情報を発信してしまった場合、犯人逮捕や事件解決に不利になってしまう、もしくは2次被害が出てしまうことにもつながりますので、犯人や事件関係者しか知り得ない情報は伏せておきます。
同様に、発信してしまうと無用なパニックを起こしてしまう恐れのある情報は、あえて伏せておくこともあります。
それらの是非はおいておくとして・・・。
これら様々な情報が、あたかも真実だと思う人が多くいます。
切り取られた情報だけを鵜呑みにし、それらがすべて真実であり、世の中の常識であると考えてしまう人が少なからずいるわけです。
ですから、日本では、様々な詐欺が横行するわけですね。
例えば北欧などでは、「見聞きした情報はまず疑う」ということが徹底して教育されます。
3~4歳児から「批判」や「疑問」の教育が行われます。
これは何も、相手を疑うとか批判することではなく、「情報」そのものに対してのことです。
日本だと、そういう行為はイコール相手を疑う、批判することと捉えられがちです。
まぁ、そんなんですから、大人になっても議論できなくて当然です。
ですが、今の時代、この「情報を疑う」ということは、生きていくうえで重要なスキルだと思うわけです。
その情報が、「何を根拠にしているか」「どういった経緯のものか」「有意性のある数値や結果があるものなのか」をまずは判断しないことには、鵜呑みにして多大な損を被ってしまうこともあるわけです。
特に、日本の情報というものは、「経済ありき」で話が進むものですから、「消費者の購買意欲をどれだけ煽るか」が大きな基準になっています。
とりあえず有名大学の名誉教授あたりの名前借りておけば説得力あるだろう、くらいの根拠しかなかったりするのが現実です。
今からを生きていく子どもたちには、これら情報リテラシーをしっかり身に付けて世の中に出ていくことが望まれます。
しかし、ここで大きな問題が生じます。
日本ではまだまだ「子どもはおとなの言うことを聞くべき生き物である」という前時代的な考えの大人が多いものですから、子どもがどれだけ情報リテラシーを身につけても、大人側がそれに対応できないのです。
子どもの「それ本当?」という素敵な疑問に対し、日本の大人の多くは、「反抗的」としか捉えません。
これのどこが教育なんでしょうね?
一緒になって疑問を感じる、その根拠を一緒に考える、議論する、こういった行動につなげてこその教育ではないでしょうか。
数年前から小学校や中学校でも、情報に関しての授業が行われています。
多くは道徳の時間や課外授業などで行っているようです。
最近は、本当にいろいろな場面で感じるのですが、子どもにとって教育はなくてはならないものですが、教育が不足しているのは子ども以上におとなの様な気がします。