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子どもエッセイ

便利さ

2017/01/04

皆様あけましておめでとうございます。

本年もどうぞよろしくお願い致します。

毎年のことながら、年末やお正月である気分がないまま勝手に年が明けていく感覚を覚えます。

テレビでは年末の番組がありますし、外からは除夜の鐘も聞こえますし、自分で鐘を打つこともしますが、これといってお正月の気分を味わうこともなく、大掃除などで慌ただしく去っていくのが年末年始ですね。

私が子どもの頃はまだ、年末年始は世の中のお店はお休みで、新しい年を迎えるにあたっての準備がありました。年末のお買い物で食材などを買いこんでゆっくりと年越しを迎えて何をするともなしにゆっくり過ごす、というのがどの家庭でも一般的だったかと思います。

もちろん、当時でも、公的なお仕事の方はなかなか年末年始でお休みを取ることは難しかったと思います。警察官や救急の医療関係者などは、自分の休みと引き換えに、お仕事に携わっていないと、犯罪も緊急的なケガや病気も待ってはくれませんから。

ただ、商業的なお仕事は、年末年始にオープンさせる意味があるのか疑問に感じます。

少しでも売り上げを!と思う気持ちは商業においてはどこも一緒とは思います。

お客さんが困らないように、というサービス的な面からの配慮もあるかと思います。

その気持ちもわからないではないですが、行き過ぎたサービスはどうなのかと思ってしまいますね。

年末年始などの節目節目で、どこもお休みになるからこそ、前もって先の見通しを持って行動しなければいけなかったわけですが、今の世の中はそんなことをしなくても、どこかお店は必ず空いていますし、商品も豊富です。確かに便利ではありますが、生きていくうえでその便利さがあだになっているように感じます。

便利さに慣れてしまうことで、何も考えずとも予定を立てずとも、行き当たりばったりでの行動で何かを入手できるわけです。それになれていると、何かも手に入って当たり前と感じるようになりますし、待つこともできなくなります。

それだけのサービスが世の中にあふれているわけですから、仕方ないといえばそれまでですが。

ただ、人生は、そんなに自分の思い通りになるものでも、便利なものでも、行き当たりばったりでうまくいくものでもありません。

ほしいものがあったとしても、それをすぐに手に入れられるわけでもありません。

便利さを追及するあまり、自己抑制力が育ちにくくなっているのが今の世の中ですね。

確かに不便な世の中だと、何とか便利にして困っている人を助けたいと思うのが人情ですし、不便さの中では様々な弊害も出てしまいます。ですから、便利さを求めようとするのは当然のことなのですが、行き過ぎた便利さはどうも人間としての何かをゆがめてしまうように感じてしまいます。

そんな中、24時間営業を廃止したり、年始の3が日を休業しようとするグループも出てきています。今の世の中ではとても勇気のいる判断だと思いますが、個人的には賛成ですね。

一気にすべてがなくなるわけではないのですから、ないならないなりに工夫しようとしますからね、人間は。

どうも世の中のおとなは勘違いしている様ですが、今現在の豊かなモノがいつまでもあると思ってますよね。

食べ物がいつまでも育つ、採れる、獲れると思ってますよね。

人間がいつまでも地球上に存在すると思ってますよね。

世の中は諸行無常で栄枯盛衰です。

今あるものはいつかなくなります。

特に今後は、自然環境の変化は著しくなりそうですし、日本国内において言えば、人口減少は進む一方です。少子化には歯止めがかかりませんし、関連して、労働人口が減っていきます。国はその部分を移民で補おうと考えています。

目まぐるしく変わっていく世の中で、今の子どもたちがどう生きていくのか。

どうすれば生き残っていけるのか。

そういったこともいよいよ真剣に考えないといけない時期にきているのではないかと思います。

 

 

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