MENU CLOSE

子どもエッセイ

暴力事件

2012/08/07

大津市のいじめによる中学生の自殺事件が公表されてから、さまざまな都道府県で、「いじめ」が「事件」として扱われ、加害者が逮捕されるケースが増えてきています。

これまで、青少年の育成の観点から、「見てみぬフリ」をされてきたケースが次々に表沙汰になってきている印象です。

「いじめ」は昔からありました。

私が小学校の頃から、上級生のいじめの噂を耳にしたことも多々あります。

その時、もちろん、自分の目で確かめたわけではないので、真実はわかりません。

ただ、そのことをおとなには一言も言っていません。

理由は簡単です。

おとなは守ってくれなかったから。

おとなは見ているようで本当の姿を見ていないから。

いじめを率先して行う子どもは、おとなの目を上手くすり抜けるのが得意です。

そして、いじめのターゲットにするのは、大抵、「まわりに相談する人がいない子ども」だったり、「おとなに守られていないと思われるような子ども」なんですよね。

そのあたりも、いじめを行う子どもの卑劣さやずる賢さが伺われます。

ただ、いじめを率先して行うような子どもは、生まれたときからそうだったわけではないと思います。

環境があまりにも悪すぎたために、そう育ってしまったとしか考えられません。

その環境には、親はもちろん、そのまわりのおとなも、地域も、時代も、国も、すべて含まれると思います。

それに加え、一番の要因は、私は乳幼児期にあると思っています。

乳幼児期から、もっと本当の意味で、その子どもを「見て」いれば、そのような子どもに育ってしまうことは防ぐことができるのかもしれません。

そして、ちゃんとその子どもの個性を認めてあげていれば、そのような子どもに育ってしまうことは防げるかもしれません。

大事なのは、子どもに何かを教え込むことではなく、「見て」「守る」ことだと思います。

top