子どもは3歳までは、母親の手元で育てないと子どもに悪い影響が出る、というのが「3歳児神話」です。
これに関しては、様々な議論があちこちで繰り広げられています。
以下は、恵泉女学園大学教授である大日向 雅美先生の赤ちゃん学会HPにおける記事より抜粋したものです。
3歳児神話に関しての学生さん同士の議論の様子ですが、これに大きなヒントがある気がします。
『ある女子学生が、おずおずと手を上げてこう言いました。「私も女性ですが、やはり子どもが小さいときは、母親が家にいるべきだと思います。子どもってお母さんを一番求めていると思います。子どもはみんな家に帰ったとき、お母さんが家にいて欲しいと思うものです。うちは私が小さいとき、母が働いていました。とても寂しかった。あの寂しさは忘れられません。だから、私は結婚して子どもが生まれたら子どものために家にいて専業主婦として、育児に専念するつもりです」――このような発言が女子学生から出されました。
それに対してすぐに別の女子学生が手を挙げて、次のように発言しました。「それは、あなたの個人的な経験と意見ではないですか。確かにあなたはお母さんが働いていて寂しい思いをしたかもしれない。でも、なぜ自分の経験が全てだと思うのですか。自分が寂しかったからといって、なぜ子どもというものはすべてがお母さんに家にいて欲しい思うと決めつけるのですか。あなたは自分の経験をあまりに短絡的に普遍化しています」と。周りの男子学生から思わず「こわーい」というような声が漏れました。
先ほどの、「やっぱりお母さんは家にいるべきだ」と言った学生も、この元気のいい学生も、いずれもずっと半年間、私の講義を熱心に聞いてくれた学生です。おとなしそうにいう学生、元気に反論する学生、両者とも表現方法は違いますが、いずれも切羽詰った真剣な表情でした。特に、「自分の経験を一般化するな」と発言した学生は、さらに次のように言葉を続けました。「私は母が働き始めて、どんなに嬉しかったか。どんなにほっとしたかわからない」と。その学生の母親は働くことが好きな女性のようでした。しかし、子どもが生まれたら、仕事をやめて育児に専念したそうです。3歳児神話を信じたのか、それとも仕事と家庭の両立に困難があったのかはわかりませんが、そうして育児に専念した母親の思い出というと、いつもイライラしていることだったようです。家に閉じこもっているストレスを、苛立ちとして発散するだけでなく、教育熱心という形でも発散したようです。仕事も何も全て捨てて母親になったという場合にありがちな傾向ですが、その女子学生の母親もすべてのエネルギーを子どもに注入したようです。「その息苦しさといったらなかった」と彼女が述懐していました。
ところが、やがて家を新築して住宅ローンを返済する必要性を理由として母親が働きに出たそうですが、彼女は本当にほっとしたそうです。また、「子どもが『ただいま』と帰ってきたとき、母親が家にいるべきだとよくいわれるけれど、私は生き生きと働いているお母さんを見るほうがずっと楽しかった」とも言いました。』
子どもにとって幼少期はとても重要な時期ですし、母親という存在もとても重要な存在です。
ですから、親子の愛着関係をしっかり築くことはとても重要です。
ですが、私は量よりも質であると考えていますし、母親以外のまわりのおとなでも十分フォローできるものだと思っています。
しかも、一番大切でありながら、一番蔑ろにされがちな「個性」によって、同じ育児方法でも子どもは大きく左右されるということです。
その子どもに合った育児方法でないといけない気がしますよね。
そのことが顕著に現れているのが、上記の記事の内容ではないでしょうか。