絵本と言っても、その種類はとても多く、様々な絵本作家がいます。
私の好きな絵本作家のひとりに、シェル・シルヴァスタインという作家がいます。
代表的な作品に、「おおきな木」や「ぼくを探しに」などがあるんですが、どれをとっても奥が深く、「答え」というものが決まっておらず、「読み手」に委ねられている部分が多くあります。
また、「読み手」の年齢や、その時におかれている状況によっても、感じ方が違ってくる内容です。
このように、本来「絵本」に限らず、「おはなし」というものは、童話や小説、詩なども含めて、どのように感じるかは「読み手」次第であり、そこに明確な「答え」は存在しません。
文章のどの部分、どの言葉に感銘を受けるかはそれぞれですし、どのように感じるかという「答え」はひとつではありません。
小学校以降、「国語」の授業がありますが、その授業中に、よく、「線の引かれているところの主人公の気持ちはどういうものですか」などといった問題が出ます。
そして、それには「答え」が用意されていて、その「答え」から外れると、×になります。
「国語力」はとても大切なのですが、そういう問題を解くことで「国語力」があがるとは、到底思えません。
私が子どもの頃からずっと感じていたことですが、「答え」が決まっていて、その答えを導き出すマニュアルがあって、そのマニュアルを叩き込むことが正しい教育や正しい指導だと思っているおとなが多いことに、未だに違和感を覚えます。