タイトルにあるOECDという言葉は、この数年、新聞などでも目にする機会があるのではないでしょうか。
新聞などでその言葉を見るのは、主に世界共通の学力調査の結果が多いことと思います。
OECDと言われてもピンとこない方が多いと思いますので、今日は、OECDがどういう機関なのか少し説明したいと思います。
OECDは正式名称を経済協力開発機構といい、英語では、Organisation for Economic Co-operation and Developmentといい、その頭文字をとってOECDと表されています。民主主義を原則とする先進国家が集まる唯一の機関であり、パリに本部が置かれ、公用語は英語とフランス語です。別名「先進国クラブ」とも呼ばれ、現代のグローバル化の時代において、経済・社会・環境などの諸問題に取り組んでいます。
経済といわれれば、子どもに直接的にかかわりがないかのように思われますが、経済と教育は切っても切れない関係です。
というのも、教育を受ける環境にあるからこそ、経済が発展するわけで、教育が行き届いていない国は、経済が発展しづらい傾向が強いからです。
そのため、OECDのように、先進国国家が集まって、教育に関しての統計を取ったり、研究を深めたりすることは、ひとりひとりの子どもにちゃんとした教育をいきわたらせるためにも必要なことと言えます。
OECDが主催するPISAの学力調査は、3年ごとに、数学的リテラシー・科学的リテラシー・読解力の3分野において、世界共通で行われるわけですが、2006年のの学力調査では、日本の順位が下がってしまったことで、新聞などで大々的に取り上げられました。
学力調査の順位が下がってしまったことで、ゆとり教育を見直し、カリキュラム数を増やし、学習時間を大幅に増やすという対応を行っているわけです。
数年前から、小学校などの学習時間が増えたのはこのためです。
ですが、勉強する時間をただ増やすだけで学力そのものが伸びるという考えは、どうも安直に感じます。
時間よりもその内容を考えなければならないと思うのですが・・・。
というのも、確かに学力では、2000年・2003年・2006年の国際的位置づけよりは、2009年の順位が高くなっていますが、反比例して、2011年に、同じOECDで行った幸福度調査では、加盟国34カ国中19位という微妙な順位です。
学力は高くても、たとえば、「自分には頼れる人がいない」と感じるのは調査対象の90%、「過去1ヶ月で他人の手助けをしたことがない」のは23%、「5年後、今よりも自分の生活に満足していると希望を持っている」のは40%(ちなみに、この結果は加盟国の中で最低ラインです)、「日々の生活の中で、肯定的な経験(喜びや嬉しさなど)よりも否定的経験(寂しさ・悲しみなど)を感じることのほうがおおい」のは68%などといった、極端に幸福度が低いという結果が出ています。
ちなみにこの調査は15歳以上75歳未満の6000名を対象として行われました。
社会に出たおとながあまり幸福を感じていないのは、現代日本ではいたるところで顕著に見られますが(だからといっておとなが幸福を感じないことそのものを肯定するわけではありませんが)、やはり引っかかるのは、その対象者の中に15歳から18歳の子どもがふくまれていることです。
調査の中には、将来への夢や希望・期待などを質問する内容もあり、その結果、半数以上が夢も希望も持っていない上に孤独であると感じている現状です。
学力をあげることは悪いことではありませんが、学力だけでなく、同時に「人間」としての在りようにもきちんと目を向けなければならないのではないでしょうか。
教育とは、学力だけでなく、社会的な生き物としての「人間」の在り方もはぐくむものではないでしょうか。
これからを生きる子ども達が、少しでも未来に夢や希望をもてるよう、私たちおとなが生きることを楽しむという前向きなモデルを日々示さなければならないのでしょうね。