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園長の日記

鳥肌!

2016/06/01

といっても実さんではありません。

※どれだけの方が鳥肌実をご存知かはおいておいて。

先日のMステーション(随分前ですけど)での三浦大知くんのアカペラは鳥肌もんでした。

ダンスも歌も超一流!

日本が誇るアーティストの一人だと思ってます。

 

生歌というのは、ごまかしが効きませんから、その人の持つ本来の才能と実力が丸出しになりますね。

心に響く歌や音楽というのは、理由もなく、聴いた瞬間に鳥肌が立ちます。併せて涙腺も刺激されます。

なにが琴線に触れるのかは、それぞれの好みやおかれている状況などで変わってくるとは思いますが、人生の中でもそういった経験はそうそう何度も何度もできるものではないですよね。

個人的には、劇団四季さんの「ライオンキング」を観たときのオープニング、先日の三浦大知さんのパフォーマンス、MAN WITH A MISSIONのライヴあたりがこの数年での私の琴線に触れてます。

MAN WITHは涙腺までは来なかったけど、テンションマックスでした。

他には、シビルウォーのスパイダーマン登場のワンシーン。

トランスフォーマーの変形シーンなんかもアガリますね!

あれ???

なんか、子ども・・・・?????

というツッコミは一切受け付けませんのであしからず!

私が思うに、こういった刺激って、子どもにとってすごく大事なことで、何かにインスパイアされた結果、将来その道に進むってことにもつながります。

おとなは往々にして、自分の好みや願望を、子どもにおしつけがちですが、それらが子どもの意志に合う場合はよくても、そうじゃない場合、おとなの「よかれと思って」したことが、その子の「道を閉ざす」ことにもつながってしまいがちです。

子どもも一人の人格と人権を備えた生き物であるという認識は、日本ではまだまだ定着しない意識のひとつかもしれません。

子どもを育てる親世代が、そういった教育を受けてきていないわけですから、無理もないかもしれませんが、負のループはそろそろこの辺で断ち切っていかないといけませんね。

先進国でいたいならね。

ボランティア

2016/05/19

別枠でもお知らせしていますが、あさって21日(土)は、うちの園から熊本へボランティアへ出向きます。

その際、保護者の皆さんにアンケートを取り、保育希望の子供の人数に応じて、スタッフを配置するようにしました。

管理栄養士と栄養士も現地へ出向くため、急きょお弁当をお願いし、希望をとりました。

回答いただいた用紙に、一言ねぎらいのお言葉をかけてくださる方、お会いして温かいお言葉をかけてくださる方・・・。

このように、急なお願いにもかかわらず、文句ではないお言葉を頂けるなんて、うちの保護者はなんてできた方ばかりなんでしょう!笑

素敵すぎますね!

正直なところ、今回のように、災害等の有事の際は、私どもは社会福祉法人立の施設ですから、通常の業務だけでなく、ボランティア等の派遣業務を担うこともあります。

世間一般のイメージでは、保育者というのは、「ただ子どもと遊んでいるだけ」というものがほとんどのようですが、保育以外の業務が生じることもあるんですよね。

近年の日本人は、自己主張のみで責任から逃避する風潮や、他者理解に乏しく、我を押し通す風潮が強くみられることも多いですが、こういった時こそ、「お互いさま」の精神を忘れないようにしたいものです。

シビルウォー

2016/05/06

直訳すると「内戦」です。

まぁ、そのまんまの意味で、GW前から上映されているMARVEL映画なんですけどね。

GWはそもそも、映画を楽しむ週間ですから、せっかくなので「シビルウォー」を観てきました。

これがもう大興奮ですよ。

これまでのMARVELの主要キャラが勢ぞろいですからね!(ソーとハルクは不在でしたが)

まだ観てなくて、これから観る方のために、ネタバレは避けますが、とにかく面白かったです。この日のために、もう一度、MARVEL作品を見直すという予習復習ぶりを発揮した甲斐がありました。

ところで、主題の「内戦」ですが、内容ももちろん、まんま「内戦」です。

アベンジャーズ内での内戦なんですが、これが、どっちが悪い、とかないんですよ。

どっちも悪くない。誰も悪くない。

でも、一部分だけ切り取れば、こっちが悪い、あっちが悪い、となっちゃう。

確か、むかーしこのブログでも書いたと思うんですが、考え方や価値観、所属によって、相手側が「悪」になることってままありますよね。

人間誰でも、自分が間違っているとは思ってないですしね。

人には誰にでも、生きていく上での何らかの事情があります。簡単に人に言えることもあれば、誰にも言いたくない事情もあります。

そういった事情が複雑に絡み合いながら、人間は日々行動するわけなんですが、人間の行動には必ず何らかの理由があります。

それは、子どもも同じことで、子どもの行動には必ず理由があります。行動そのもので判断するのではなく、その裏側や、未来を見据えて子どもたちを育てていきたいものですね。

 

情報リテラシー

2015/12/04

情報リテラシーとは、情報機器やITネットワークを通して、情報やデータを管理し、活用する能力のことを言います。

簡単に言えば、溢れかえる情報の中から、自分に合った情報を見つけ出し、何が本当で何が嘘かを見極め、的確に活用していくことです。

ドイツでは、日本における健康・人間関係・環境・言葉・表現の5領域に、この情報(メディア)リテラシーが含まれるところが多いようです。

日本においては残念ながらまだ、この部分は指針に記載はありませんが、小学校や中学校における、インターネットの使用法やLINEなどのコミュニケーションツールに関する注意事項などがこれにあたるといえます。

最近は、テレビや新聞・雑誌などのメディアだけでなく、ネット上でも簡単に情報を入手することができます。

ちょっとした調べものも、以前ならば図書館に行ったり、実際に書籍を購入したりしなければならなかったのが、キーワードを検索するだけで、簡単に関連する事柄に関する知識を入手できます。

しかし、特に、最近の情報は、ちょっと考えれば嘘だとまでは言えなくても、かなり事実を捻じ曲げて購入意欲を煽ったり、目立とうとしたりといった思惑が見えるものばかりで、まともな情報に出会いないことが増えてきました。

ちゃんとした根拠もなく、I thinkだけで情報発信している内容のものが多いですよね。

そして、それをそのまま鵜呑みにするおとなの多いこと多いこと(笑)

与えられた情報に対して、まずは「ほんとかな」「どうしてかな」と疑問を持つことが、論理的思考の第1歩なんですが、ここが日本ではしっかりとした教育がされてませんから、鵜呑みにするというお粗末なことになっちゃうんでしょうね。

ネットなどは、個人の特定ができないようなものも多いため、無責任な発言が多いですしね。

今の子どもたちには、情報に対しての正しい取り扱い方をしっかり身に付けておとなになってほしいものですね。

ドイツ報告

2015/12/01

先日、ようやくドイツ研修の報告書を作成し終えました。

8日間で撮った写真は600枚以上です。

写真のプリントアウトだけでは分かりづらいため、1枚ずつ、園ごとに、コメントを記入して、すぐにでも実践できるような報告書にしようと思い作成したのですが、A4の用紙100枚以上になってしまいました。

作るのも大変でしたが、読む方も大変です。

ドイツでは、ミュンヘン市内の保育園、幼稚園を4か所、お隣のグラスブルン市の総合施設と保育園を2か所、郊外の幼児の宿泊施設を1か所の計7か所の視察をしました。

どの施設にも共通して言えることは、乳幼児期の教育に関してのベースがどこも一緒であるということ。

子どもの発達を軸に、どのような力を乳幼児期に身に付けるべきかがしっかりと理念としてあります。

そこが土台ですから、よく日本で見られる、園長や主任、クラス担任の情緒的な感情で子どもを管理するという手法は一切ありません。

ベースになるべきものが、しっかりとした科学的根拠を基にしてあります。

かつ、年齢ではなく、個々の子どもの発達に応じて、という点でも一緒です。

ドイツでは、近年の若者の科学離れが課題となっていて、科学力を高めるような環境も設定されています。

また、大きな目的の一つに「自立」が掲げられています。

ですから、自立に向けて、子どもたちは、自分の意志をはっきり持ち、伝え、責任を取る、ということを0歳の頃から大切にされます。

一般的に、18歳になれば、一度実家を出る風習もあるようです。

自立に関しては、日本でも課題の一つと言えます。

過干渉や共依存など、子どもを一人の人間として育てるのではなく、教え込む入れ物であり大人の所有物という考え方が強い日本では、なかなか受け入れられにくい考えですね。

そのあたりもすごく情緒的ですね。

歴史をたどれば日本においては、子どもは労働力であり、家を維持していくためには、丁稚奉公や女中に売り出していくのもやむなし、という風潮が当然でした。

その頃の風潮がまだ残っているのでしょうね。

ただ、現在では、ユニセフが提示している国際条約である「子どもの権利条約」に見られるように、子どもにもちゃんと人権があるということが先進国では当たり前になっています。

日本も先進国のひとつであると私は認識していましたが、おかしいですね。

教育においては、先進国ではないようです。

ドイツの教育システム

2015/11/01

日本においては、7歳になる年の4月に小学校に入学します。

年齢の枠だけで判断し、年齢で区切って教育が進んでいきます。

実は、先進国の中で、子どもを年齢で区分けしているのは日本だけなんです。

これだけ豊かで、安全な国が、教育に関しては、びっくりするくらい遅れています。

戦後、教育に関しては、法令もシステムもほとんど変更なく今を迎えているのが日本です。

では、先進諸国では、何を基準にしているかといえば、それは「子どもの発達」です。

ドイツにおいても、それは変わりなく、「〇歳になったから就学」ではなく、「就学の発達をしているから就学」となります。

ですから、年長のクラスや小学校1年生のクラスには、年齢の様々な子どもが在籍します。

ドイツにおいては、小学校4年生の時点で、将来の方向性を決定します。

その時点で、学力テストを行い、将来的に大学へ行けるかどうかも判断されます。

ですから、ドイツの保護者は、就学を1年遅らせることが多いようです。

焦って就学させて将来的に不利益を被るより、1年待って十分な力を備えてから就学し、将来的に安定する方法を選ぶわけです。

これは、日本でも、保護者は同じ気持ちではないかと思います。

ただ、教育システムがそれを許しませんから、結果的に子どもに不利益が生じることになっているのが現状です。

教育のシステムを変えていくことは時間がかかりますし、何か変えようとすれば必ず反発する人が出てくるのが世の常ですが、少子化が進む中で、子どもへかけるお金も時間も以前に比べればずいぶんと余裕はなくとも考える余地はあるはずです。

子どもの発達を軸にした教育システムの構築が、日本の抱える大きな課題のひとつではないかなと感じますね。

あー。

移住したい。。。(笑)

 

正直なところ、日本で育児したことをすごく後悔した8日間でした!

ミュンヘン

2015/10/23

日曜日からドイツのミュンヘンに出張です。

うちの園が所属している保育環境研究所ギビングツリー主催の研修でミュンヘンに向かいます。

今年度から、厚労省の予算で、先進諸外国の保育の研究が進められているようですが、先進諸外国の中でも、ドイツは、日本人と国民性がよく似ており、学ぶところは多く感じます。

いまだに平均を作るための一斉教育から抜け切れていない日本と、脳科学に基づいた教育を打ち出しているドイツとの差を、肌で感じられる機会です。

全国の研究所所属者との出張ですが、毎日2カ園を見学し、それぞれが撮影した写真をもとに、何を感じ何を思ってその写真を撮影したか、などの研修を毎晩行う予定です。

ドイツは、最近よくニュースで流れているように、移民の受け入れに寛大な国です。

それに伴い、どの園にも、何十か国の子どもたちが所属しています。

国や文化、宗教が違う中、どのような保育を展開しているのか、とても気になるところです。

私の人生において、海外出張など、1度あるかないかの機会ですから、思う存分勉強してきたいと思います。

コミュニケーションツール

2015/10/22

最近は、様々なコミュニケーションツールが利用されています。

FacebookやMixiなどのSNS、SkypeやLineといった無料の通信ツールなど、どれだけ離れていてもネット上でつながっていられる世の中です。

私も、息子の学校関連や友人たち、職場などなどLINEのグループで連絡を取っています。

1の発信で多数に伝わるというのはとても便利ですね。

特に、日時や場所など関係ある人が把握しておいた方がいい情報を伝えるのには、とても便利なツールです。

しかし、あくまでも「連絡手段」であって、円滑なコミュニケーションを取れるツールではない気がします。

人間のコミュニケーションは、9割が非言語コミュニケーションと言われています。

つまり、言語でコミュニケーションできるのは、1割ということです。

上記のツールは、主に言語を使ってやり取りするものです。文字や文章だけでのやり取りになりますから、相手の感情まではわかりません。

つながっていられる喜びや楽しさはありますが、十分なコミュニケーションは難しいように感じます。

とくに文字や文章は、受け取り方によってプラスにもマイナスにも取れますしね。

ポジティブな利用法で、あくまでも「連絡手段」としてならば、この上なく便利なツールですが・・・。

私自身は、こういったツールは、使えはしますが、あんまり得意ではなく、誰かとコミュニケーション取るのはやっぱり直接会ったり、電話で話したりする方が性に合ってます。

たいていが出張時以外は「携帯不携帯」と友人や家族に言われるくらいですから(笑)。

それはそうと、こういったツールがメインになっている世代の子どもたちは、逆に大変だなぁって思います。

コミュニケーション能力がしっかり身につかない内にこういったツールで他人とコミュニケーションしていかなければならないわけですから。

しかも四六時中誰かとネットを介してつながっていることが可能なわけですから、自分の時間も奪われちゃう気がします。

適度な距離感も取れなくなっちゃいますよね。

2045年

2015/10/20

近年のITの発達は目覚ましいですね。

巷では、2045年問題で大騒ぎ(一部?)されています。

2045年には、AIが人間の知能を超えてしまうことが予期されていて、これまで人間が行ってきた仕事を代わりにAIが行うようになり、人間の職が奪われてしまうといった問題が起こることが提起されています。

すでに、将棋やチェスなどは、AIが人間に勝つようになっています。

実感できるところですと、長崎のハウステンボスにオープンした「変なホテル」や羽田空港国内線の手荷物の預かりなどですね。

「変なホテル」は、受付からポーターまで、すべてがAI対応のホテルです。

ただし、お部屋のクリーニングなどは、別途料金を支払って、人間にやってもらいます。

羽田空港での手荷物は、他の航空会社は経験ありませんが、ANAの場合、従来は、人間対応のカウンターにて預けていましたが、現在は、ドラム式洗濯機のような機械に自分で預けるようになっています。

どちらにしても、これまでは人間が対応していたものです。

例えば、それぞれ10人の配置だったとします。それをAIに変えることで、トラブル時対応の人間配置のみで賄えるようになります。

それぞれ1人ずつとしましょうか。

単純に考えて、それぞれ9人の人間が不要になります。併せて18人です。

たった2か所の配置場所だけで、18人もの人間が不要になるわけですね。

これを拡大して、ひとつの企業、ひとつの地域、ひとつの都道府県って考えたら・・・。

どれだけの人間が不要になるんでしょうね。

2045年、つまり30年後には、従来の人間がやってきた仕事が6割も7割もAIにとってかわられるといわれています。30年後ではなく、20年後と考えている識者もいます。

ただ、現在ではまだAIは、人間特有の「感情」を持っていないと言います。

しかし、人間の「感情」が、「脳機能の働き」だとするならば、そう遠くない未来に、人間の脳機能が解明され、AIに生かされる可能性もあります。

また、AI自身が、自己成長をしていく可能性もあります。

まだまだ先の話のように感じますが、2045年にはどんな世の中になっているんでしょうか。

不安もありますが、楽しみでもありますね。

発達の偏り

2015/05/20

世の中にはいろんな人たちがいます。

顔や性格、生き方など人によって様々です。

何を好み、何を嫌うか。何を楽しいと思うか、何をつまらないと思うか。何が得意で、何が苦手か。

本当に人によって様々で、ひとりひとりの個性が世の中を作っています。

近年、といってもこの10年くらいでしょうか。

「発達障害」という言葉が世の中で独り歩きしています。

多くの方が、ADHDやアスペルガーなどの言葉を耳や目にしたことがあると思います。

どういった特性があるのかなど、親切なのか軽率なのか、ネットなどでは自己診断ができるような情報まで出ていますね。

診断名は、ドクターによって、いくつかの診断基準をもとに診断されます。

日本ではアメリカ精神医学会のDSMという診断基準を用いられることがほとんどです。

他にもICDという診断基準がありますが、このふたつはさほど大きな違いはありません。

また、「発達障害」という定義はなく、ADHDやASD、LDなどが定義されています。

近年のDSMの改訂が行われ、診断の中に、アスペルガーとレットが省かれることになりました。代わりに、それまで広汎性発達障害と言われていたものが、自閉症スペクトラムという大きなくくりとなっています。

診断は、あくまでも、ドクターの仕事であり、専門家と言えども、ドクター以外の職種が診断を下すことはできません。

特に、ネットなどで簡単に自己診断ができるような世の中ですから、専門的な知識も先の見通しも手だてもないのに、ちょっと偏りが見られる程度で診断名を求める人が多くいます。

教職員や保育関係者などが目立ちますね。

自閉症スペクトラムはあくまでも、発達の偏りであり、その原因は100%解明はされていませんが、おそらくマイノリティな脳機能の働きによるものであるといわれています。

多少の発達の偏りは誰にでもあり、ドクターが使用する診断基準の項目は、誰もが必ずひとつ以上は当てはまります。

いわゆる発達障害の診断は、各項目郡の該当項目の数が一定以上であれば、診断されるわけですが、要するに、例えばインフルエンザなどのように、体内にウイルスが確認されることで診断されるものでなく、境界線がとても曖昧です。

ですから、「スペクトラム」といわれるわけです。

そういう曖昧な診断ですから、診断を下すドクターもとても慎重になりますし、診断自体を悩んだり後悔したりすることも多くあります。

だって、一度診断ついちゃうと、その診断は今後ずっとついて回るものですからね。

一人の人間の人生を左右するわけですから、大きな責任を伴います。

にもかかわらず、いまだに学校や幼稚園、保育所などは、診断名を求めます。

所属する子どもたちが、今後の人生における基礎を培う場所であるにも関わらず、診断名を求め、子どもの人生をカテゴライズしたがるって矛盾してますよね。

手だてがあれば話は別ですけど、世の中のどれくらいの学校や園が、発達の偏りのある子どもの対応方法や今後の人生の見通しや手だてをもっているのでしょうか。

診断名がついたことで、本当に前を向けるようになり、偏りがなくなるような方法をとれるんでしょうか。

そこまで考えてから診断名を求めてほしいものです。

 

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