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園長の日記

風呂敷

2012/02/23

今日は2月23日で223(つつみ)の語呂から「風呂敷の日」だそうです。

風呂敷といえば、この数年、その機能性を見直され、いろんなところで実用的に使われているのを目にする機会が増えました。

エコロジーの観点からも、スーパーのビニール袋や贈り物のラッピングなどの削減にも繋がります。

風呂敷のつくりが、大きな正方形の布ですので、箱型のものだけでなく、例えばごろごろした野菜や果物、ペットボトル、ワインなどの瓶なども包むことが出来ます。

写真のように、斜めがけにできるいわゆる「バナナバッグ」のような使い道もできます。

しかも最近では、昔ながらの唐草模様以外にも、リバーシブルで使えるものやキレイな発色のものなど、実に様々なデザインのものが売られています。

ちなみに、検察庁の検察官は、伝統として、押収したものや書類などの持ち運びには、風呂敷を使用しているそ

うです。そして、柄は地検ごとに違うのだとか・・・。どのような柄があるのか見てみたいものです。

この風呂敷のように、昔ながらの道具が再び見直され、使われるようになるということは、昔の人たちの知恵が時代に関わらず有効であることの証でもあります。

確かに、昔ながらの知恵がすべて現代に通用するわけではありませんが、見直してみると十分に活用できたり、むしろ、現代こそ必要なものだったりします。

これからの時代を生き抜いていかなければならない子ども達に、昔ながらの人たちの知恵を伝えていくことも、私達おとなの大事な使命ですね。これがいわゆる伝統というものなのでしょうね。

 

 

 

義務教育期間の留年

2012/02/22

大阪市長が大阪市教育委員会に、小中学校の間の留年を打診する旨の案を提出したそうです。

「みんな一緒」が当たり前とされる日本で、とても勇気のある発言だなぁと思います。

というのも、子どもの学年や進級を年齢で区分するのは、先進国では日本くらいのもので、先進国では、基準となるのは子どもの年齢ではなく、「発達」だからです。

子どもの発達の順序というのは皆一緒ですが、そのスピードは様々で、早い子もいれば遅い子もいます。

極端な例を挙げれば、例えば同じ6歳でも、走ることもできれば飛びはねることもできる子どももいれば、歩くことはできても走ることはまだできない子どももいるわけです。

ですが、日本の場合、子どもの発達がどうであれ、その年齢が来れば無理やり小学校へ入学させます。

そして口を揃えて言うのが、「6歳にもなって〇〇ができないのはおかしい」とくるわけです。

おかしいのは子どもではなく、子どもの発達を理解していない周りのおとなです。

 

欧米では、当たり前のように、留年や飛び級があります。

9歳になっても就学前の保育所などですごす子もいれば、5歳でも小学校へ入学する子もいます。

そして、多くの保護者は、小学校入学を少しでも遅らせようとします。

「うちの子はまだそこまで発達していないから」

との理由です。

日本では、きっと真逆でしょうね。

「差別だ!」

とクレームの嵐かもしれません。

 

おとなが子どもを見る姿勢の違いで、子どもがそのままの自分を受け入れられるかどうかが決まるのですが、日本のおとなたちは子どもの発達なんかお構いなしですね。

年齢や生まれ月に囚われて、それを基準にするあまりに、子どもをきちんと発達させようという本来の目的から大きくずれてしまっているように感じます。

子どもの発達をきちんと保障するというおとなの義務は一体どこにあるのでしょうか?

子どもが自分なりに発達していこうとすることを邪魔することは、虐待と言っても過言ではないと私は思っています。

そう考えると、日本の教育は、子どもひとりひとりが自分なりに発達していこうとすることを保障するような学校教育は行っていない気がします。

まだできないことを、年齢の枠だけで子どもを見て、無理強いしているわけですから、これは、国連が採択している「子どもの権利条約」に見事に違反しています。

 

「みんな一緒」がいいということは、一見、差別などがないように聞こえますが、私は逆だと思います。

「みんな一緒」でないと、いじめや妬みの対象になるのがこの日本という国ではないでしょうか?

そんなにみんな一緒がいいのでしょうか?

それならば、ロボットを量産すればいいだけの話です。

 

もっと真剣に、そして専門性をもって、子どもの発達のことを国として考えてほしいと思います。

子どものため???

2012/02/21

年末から年始にかけて、頭にくるというか、それを通り越して情けなく感じる出来事がありました。

詳しいことは割愛させて頂きますが、同じ、子どもに携わる仕事をされている関係機関とのやり取りでのことでした。

園からの意見などにはまったく耳を貸してもらえず、いかにも自分達が正義だといわんばかりに強硬手段に出られ、どれだけこちらがやめてほしいと頼んでも、「子どものため」だと言い張る方々でした。

口では、「子どもため」だとおっしゃっていましたが、私や園のスタッフからすれば、年末の慌しい時期に、いわゆる「やっつけ仕事」を終わらせたい感じがありありと感じ取れましたし、「何かあったときに私達はこれだけ動きましたよ!」という責任逃れのために動かれている気がしてなりませんでした。

その関係機関の方々の浅はかで、客観的な事情も聞かずに、思い込みだけで動かれたことによって、そのケースに関係していた子どもの保護者は深く傷つかれました。

保護者が不安定になれば、子どもにも影響が出てきます。

本当に子どものためを思うなら、どうしてもっと保護者に寄り添ってくれなかったのでしょうか。

どうしてもっと園の意見を聞き入れてくれなかったのでしょうか。

何がどう子どものためと言うのでしょうか。

 

人は、何かがあったとき、誰かに責任を押し付けることで解決しようとします。

でも、他人を責めて、何か解決するとは思えません。根本的な解決にはなりません。

何か問題が起こったとき、誰かを責めるのではなく、次に同じことが起きないように皆で取り組むことのほうが、よほど解決に近づけます。

 

子どものためだといいながら、実は自分のプライドや自己保身のため。

これが日本の、子どもに携わる仕事をしているおとなの姿なんだなという典型的な例を間近に見て、同じ子どもに携わる仕事をしている者として、はっきり言って吐き気がしました。

 

保育現場や教育現場、行政や児童相談所など、いわゆる子どもに関係する機関は、20年前に比べればずいぶんとマシになった気がしていましたが、根本的なところは変わっていない人もまだまだたくさんいるんですね。

同じプロとして、とても恥ずかしく思います。

 

 

音の響き

2012/02/20

ある小学校での授業中での話ですが、社会の授業のときに、先生が都道府県に関しての質問を生徒にしたそうです。

「日本には何県があるでしょう」

という質問に、子ども達はみんな「福岡県!」などと県名を答え、ある子どもが、

「志村けん!」

と張り切って答えたそうです。

本人は、真剣に答えたつもりだったのですが、教室中は笑いに包まれ、ふざけたと思った先生は、その子どもを厳しく叱ったそうです。

「それは違う!関係のない発言をしてはいけません!」

 

この話を聞いて、何てもったいないことをするのかなぁと思いました。

確かに、志村けんは都道府県名ではありません。

ですが、その子どもはふざけて言ったわけではありません。

頭ごなしに叱られたことで、その子どもは今後、発表することにも気後れするでしょうし、きっと、何がどう違うのかも分からずじまいです。

どうしてその発言のときに、

「確かに“けん”がついているけど、“志村けん”の“けん”は、人の名前だよね。今話しているのは、日本にどういう県があるかってことで、たとえばみんながすんでいる福岡県とかお隣の佐賀県とかを話しているんだよ。それに使われている“県”は、日本を47個の地方に分けた時に使われる“県”なんだよ。でも、同じ“けん”だから、文字数も一緒だし、音の響きも一緒だよね。じゃあ今度、同じ文字数同じ言葉の響きがどんなものがあるか国語の時間にやってみようか」

といったことを先生は言えなかったんでしょうか。

社会の時間は社会だけ学べばいいというものではないと思います。

すべての教科にはつながりがあって、生活にも密接に結びついています。

そのつながりを断ってしまうような授業だと、ただの知識の詰め込みになってしまいます。

学力向上のために、学習要領が改訂され、カリキュラム数が増えたことで、時間内にどれだけ詰め込めれるかが主流になってしまっている気がします。

小学校や中学校の先生達も、目の前のカリキュラムに追われる日々だということは理解できますが、もっと、子どもそれぞれにあった学習の進め方や、教科と教科の連続性などを踏まえた学習を義務教育の間で行って欲しいなと思います。

そのためにも、国がもっときちんと子どものための教育を理解する必要があると思います。

今後、進められる「子ども・子育て新システム」で、少しでも子どもにとって本当に必要な教育を行える国になってほしいものです。

外部研修

2012/02/20

園で働くスタッフは、それぞれいろんな外部研修に行きます。

地域が主催のもの、保育団体が主催のものなど、主催は様々ですが、役割ごとにいろんな研修があります。

今週は、給食関係の外部研修が3つもあり、それぞれ調理室の栄養士さんたちが研修に参加します。

栄養士さんたちにとっては、とても忙しい1週間になるのですが、みんな毎回、楽しみに研修に言ってくれています。

外部研修の予定が入ると、いつも思うのですが、うちのスタッフはみんな、とても前向きに研修に参加してくれるんですね。

しかも、研修にいくたびに、いろんなことを吸収してきてくれ、それだけでなく、すぐに実践してくれます。

子どもにとってプラスになると思うことを、すぐに実践し、反省すべき点は反省し、改善し、保育を深めてくれています。

もちろん、園外に出ることがリフレッシュにもつながりますし、普段は園の中にいて近すぎて見えなかったところなどが、離れることによって違う見方ができるようになったりと、いろんなメリットもあります。

ですが、やはり、スタッフそれぞれの、子どもを思う気持ちが温かく強いからこそだと思います。

少しでも園をよくして保育を深め、子ども達へ還元したいという強い思いがあるからこそ、結構なハードスケジュールでも楽しんで行ってくれてるんでしょうね。

私自身、うちのスタッフから学ぶべき点はとても多く、日々いろんなことに気づかされています。

本当にありがたいことです。

ミーティング

2012/02/18

今日は、夕方から定例の職員会議を行いました。

主に、発表会に関してだったのですが、最終的なプログラムが決定しました。

今年もそれぞれの子ども達が晴れやかな顔で発表会を終えてくれるように、職員一同取り組んで生きたいと思っています。

会議といえば、うちでは、全員で行うものは月に1度なのですが、日々の保育において、スタッフ同士の連絡は欠かせないものですので、それぞれの部門で、その都度、ミーティングの場を設けています。

うっかり連絡が行き届かないこともあるのですが、こうやって、スタッフ同士が「子どもを主体において」保育に関して話し合うことは、子ども達にとってもいいモデルとなります。

人それぞれ、言葉に出して伝えなければ理解しあえないことや、協力しあうこと、フォローしあうことなど、コミュニケーションをどうやってとるか、ということも、子ども達には伝えないといけないことです。

ですので、ミーティングはあえて、子ども達がいるところで行うことが多いです。

子どもを取り巻く環境の中で、物や空間ももちろん大事な要素ですが、人的な環境も重要な要素です。

真似ることは、=学ぶことですので、子ども達に伝えたい様々なことは、あえて子どもがいるところで行うことで、直接的に教えるよりもはるかに子ども達が吸収してくれます。

 

おためし

2012/02/17

以前、私が持っているミニノートでは、このブログのUpに不具合が出るため、出張の際は前もって書き貯めておかないといけないと書いたのですが、その問題を解決できそうなモノをとうとう入手しました!!!

そうです!!

今をトキメク、すまほですよ!!

試しにスマホでUpできるか現在タップしまくりです!

これが成功すれば、出張の際に勉強したことをタイムリーにお伝えすることができます。

元々、私はモノを壊れるまで使う癖があるので、携帯もなかなか機種変更しないんですか、今回は出張の際にちょっと楽したいという欲望に負けてしまいました……

4年ぶりに携帯変えると完全に浦島太郎状態です……

こういうのって、子どもだと、すぐに操作とか覚えちゃうんですよねぇ。

こういう時に子どもの持つ力のすごさをひしひしと感じます。

60周年

2012/02/16

うちの園は、今年の3月15日で60周年を迎えます。

還暦を迎えますので、せっかくなのでちょっとした記念品を考えています。

もらっても困らないようなもの・・・ということで、キーホルダーやアクセサリーなどのちょっとした小物を置いておけるステンレス製のトレーを考えているのですが、先日、そちらに名入れするデザインの校正案が業者さんより送られてきました。

フォントの種類も本当にたくさんあって、園のロゴマークと並べてバランスのいいものを選ぶのに一苦労・・・。

トレー自体は、星型とハート型の2種類あります。

出来上がり次第、各ご家庭にひとつずつ配りますので、よかったら使って下さいね。

こちらへの到着は4月の頭くらいの予定なのですが、今から楽しみです。

春一番

2012/02/15

そろそろ時期的に、春一番が吹きそうな頃になってきました。

金・土曜の予報は雪になっていますが、それを過ぎた辺りからいつ吹いてもおかしくありませんね。

今日、2月15日は、「春一番」と名づけられた日だそうです。

春一番の語源は、様々な説があるのですが、最も有力な説として、安政6年(1859年)2月13日、長崎県壱岐郡郷ノ浦町(現・壱岐市)の漁師さんが漁に出ているときに、突然の強風で船が転覆し、53人の死者を出して以降、漁師さんたちがこの強い南風を「春一」または「春一番」と呼ぶようになったという説です。長崎県では、この事件以前から郷ノ浦町で「春一」と呼ばれていたものが、この事件をきっかけに広く知られるようになったとしています。

現代で使われている言葉は、普段は何気なく口にしていますし、当たり前に使っていますが、ひとつひとつの言葉の語源を調べてみると、いろんな事件や出来事がその語源になったり、人間の生活そのものに結びついている言葉が多くあります。

 

園にいると、子ども達が言葉の意味だけでなく、いろんなことに興味を示して質問してくることがあります。

そのときに、答えを率直に伝えることもあれば、その子どもが自分なりに調べたり、何かを感じ取れるような場合は、ヒントだけ与えることもあります。

何かを疑問に思ったときに、「あとで」「今はそんな時間じゃない」などと無碍にあしらうのではなく、疑問を感じた子どもの好奇心や興味を次につなげていけるような保育に取り組むことが、先々の学習に必要不可欠ではないかと思います。

 

 

春の気配

2012/02/14

先日、子ども達が植えたチューリップがどうなっているかなぁとふと見てみると・・・

なんと!!!

芽が出てるじゃないですかっ!!!!!!!!

まだまだ気候は冬真っ盛りで、数日後はまた雪の予報が出ていますが、こういうふとしたところに春がもうそこまで来ているんだなぁと実感させられますね。

この調子だと、卒園式までにはキレイな花を咲かせてくれそうです。

タイミング良く卒園式の日に満開になってくれたら嬉しいんですが・・・。

そうそう都合よくはいきませんよねぇ・・・(笑。

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