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園長の日記

発表会の後は・・・

2012/03/04

発表会の後は、毎年恒例になっている保護者の皆さんとの懇親会。

今年も例年通り、夕方から懇親会に参加しました。

毎年、保護者会役員会の皆さんが、手配して下さり、懇親会を行ってくれています。

普段はなかなか時間が取れず、ゆっくりと話すことができない他の保護者や園のスタッフと、交流を深める場となっています。

会場の設定や事前準備などでも大変なのに、ビンゴや様々なゲームも用意してくれる上に、景品付きなんですね。

景品は、生活に密着したものが多いのですが、今年はドライヤーやカラーボックスなどもありました。

ちなみに私が頂いた景品は、マヨネーズ(ちょうど切れかけていたので・・・)とアルミホイル(こちらもちょうど切れかけていたので・・・)とジップロックでした。

何気ないものですが、これが意外と助かるんですよねえ(笑

 

懇親会の最中は、いろんな保護者の方とお話できるのですが、あるお母さんとお話していて、このブログや園のスタッフのブログを毎日楽しみにして下さっているとのこと。

見て下さる方がいると思うと、恥ずかしい反面、やはり大きな励みになりますね。

まだまだ勉強不足な私たちですが、みて下さっている皆さんに少しでも元気と安心と笑い(?)をお届けできるようなブログをUPしていきたいと思います。

 

最後になりましたが、懇親会に参加された皆さん、本当にありがとうございました!

そしてお疲れ様でした!

発表会

2012/03/03

今日はみんなが楽しみにしていた発表会本番!

朝から子ども達は大張り切りで登園してきました。

大勢の観客の方々が来園され、会場は熱気でいっぱいでしたね。

途中、あまりの熱気に、観客席が暑くなりすぎ、過ごしにくさを感じられた方も多くいたかと思いますが、ご勘弁ください・・・。

皆様方のご協力により、プログラムもスムーズに進み、滞りなく発表会を終えることができました。

改めて御礼申し上げます。

いろいろと至らない点も多くあったかと思いますが、今後とも子どものために一緒に保育していきましょう!

 

添付写真は、よちよち組の「とっとこハムたろう」の一場面。

以前、こちらのブログでチラっとお知らせしたとおり、あちよち担当のミラクル保育士(通称:とっきー)が背景の一場面に混じっていたのに皆さん気づかれましたか?(笑

正解は写真の通り!

コレ、気づくとすごく違和感あって若干気持ち悪かったですね・・・(笑

お目汚し失礼致しました!!!

 

最後になりましたが、本日の発表会、本当にお疲れ様でした!

 

時代

2012/03/02

昨日のリハーサルは、主に着替え部屋で子ども達と過ごしました。

出番でない子ども達は、みんな好きな遊びをして自分の出番を待ちました。

おままごとのコーナーで役割を決めて赤ちゃん人形のお世話をしている子ども達が、携帯電話のおもちゃを手にしていたんですが、ボタンを押すのではなく、画面をスライドさせたり、タップしたりしているんです!

世の中がスマホ時代になっている証です。

時代の流れと共に、子ども達の遊ぶおもちゃや言葉などに変化が見られますね。

特に、おままごとなどのごっこ遊びには、そういった時代の流れが顕著に現れます。

 

そういえば、若者の言葉遣いなどがよく問題視されますよね。

「今の若者は言葉遣いがなっていない!」と、年配の方々はよく仰います。

確かに、他人を傷つけるような暴言などは使うべきではないと思います。

ある言語学者が言っていましたが、「正しい日本語というのは、今の時代に使われている言葉」だそうです。

時代に合った言葉が、正しい日本語なのだそうです。

 

こういうふとした日常の保育の風景からも時代の流れを感じることができます。

10年後の保育室では、また違った風景がみられるのでしょうね。

 

音楽

2012/03/01

今日は発表会のリハーサルでした。

うちでは、発表会で何を発表するのかを、子ども達と先生が話して決めます。

ここのところ、EXILEとAKB48が幼児クラスでは人気なのですが、やはり、耳によくする曲などは自然と覚えるようです。

特に、この2つのグループは、人気もあり、男女問わず幅広い世代から支持されているようです。

幼児クラスだけでなく、全クラスで、子ども達が普段、耳にしている曲などに決まることが多いのですが、これは別に流行をおいかけているわけではありません。

昔から、保育界では、子どもに聞かせる音楽は、童謡一択だったのですが、確かに童謡は悪くはないと思うのですが、童謡だけに拘る必要はないと思っています。

音楽とはそもそも、音を楽しむ芸術です。

もともとは、お祈りなど生活に密着したもので、人間の様々な願いや思いを音にしたものが音楽のはじまりです。

本人が心地よいと思えば、どんなジャンルだってかまわないと思います。

ロックでもクラシックでもR&Bでもゴスペルでもジャズでもポップスでも、どんなジャンルの音楽でも、聴く側のそのときの心情などによって心地よさを感じるジャンルは違ってきます。

 

数年前まで、発表会(当時はお遊戯会と言っていました)では、童謡などの子ども向けの音楽のみを使って、踊りと劇・楽器演奏などを行っていました。

もちろん、その当時も子ども達は一生懸命、練習していました。

おとなに言われたとおりに、言われた曲を言われた通りに踊り、演技し、おとなにほめられるのが目的でしたから。

今は、というと、発表会は、「自分がおとなや友だちに見せたいものを自分で選んで、自ら関わり楽しむもの」ですので、練習なども子ども達のモチベーションが違います。

自分で決めたことに対しては能動的に関わるのは、子どももおとなも一緒です。

 

ちなみに、私は保育園時代、朝や帰りの会のときの歌を歌うのが大嫌いで、毎日毎日いわゆる「口パク」でその時間を乗り切っていました。(笑

何が楽しくて童謡を歌わなければいけないのか、さっぱり分からなかったのです。

でも歌わないと厳しく怒られるので、それが怖くて歌っているフリを、物心ついたときからずっとしていましたね。(笑

それ以降、小学校高学年まで、音楽をいいものだと思うことは一度もなかったです。

今では、本当に様々なジャンルの音楽を聴きますが、音楽で心を癒されたり、感動したりなどできるようになったのは中学生以降でした。

この数年、卒園シーズンになると、年長さんが卒園関連の歌を歌いながら練習中やお別れ会で泣いている姿を見て、この違いはなんだろうなぁと思わずにいられません。

 

リハーサル

2012/02/29

いよいよ明日は発表会のリハーサル!

毎年、年長児の女の子のお化粧や髪の毛を私が担当してるんですが、できるだけ本物に近くしたいなぁってことで、いつも事前に演目のPVをチェックするんですね。

今年はKARAとAKBなので、それぞれの曲のPVをチェックしていると・・・・。

http://www.youtube.com/watch?v=TczjBn2lt9E

なんだこれええええええ!!!!???

YOU TUBEでミッケしちゃいました!!!

 

思わずPC前で大爆笑してしまいました!

 

 

さて・・・

これはやっぱり・・・

とっきーあたりに本番やってほしいですよねえ・・・?(笑

 

明日ちょっと言ってみよーっと!

マニュアルとルール

2012/02/28

いわゆる「マニュアル人間」というのは、マニュアルどおりにしか動けず、臨機応変に行動できない融通のきかない人のことを言います。

何事もないときはいいのですが、世の中というのは常に、いろんなことが起こり、同じ毎日を過ごすことはありませんし、全く同じことが起きる事もありません。

ですので、「マニュアル人間」だと、日々の生活や仕事において、往々にしていい結果を出せないことが多くあります。

いい結果を出せないだけならいいのですが、余計な手間やトラブルまで引き起こしてしまうこともあります。

これは、どうやら、マニュアルとルールを履き違えているからのような気がします。

マニュアルは、「基本的には参考になり、困ったときに役立つこともあるが、あくまでも参考にしかならないもの」であり、ルールは「他人に意図的に迷惑をかけないように、最低限、守らなければいけないもの」です。

マニュアルは守れても、ルールは守れない・ルールよりもマニュアル重視。

そんなおとなが増えている、もしくは目立っているように感じます。

 

うちの園では、子どもを「一人の人間」とみなして保育します。

一見、ものすごく子どものわがままを通す保育のように思われがちなのですが、人としての「ルール」にはとても厳しいです。

最低限のルールはきちんと守るからこそ、子ども達の自由が保障されるわけです。

逆に、マニュアルに関しては、あまり重要視していません。

マニュアルはあくまでもマニュアルであって、その時々で状況は違ってくるからです。

例えば、赤ちゃんの授乳ですが、マニュアルでは「これくらいの月齢なら4時間おき」などとあります。

ですが、4時間持たずに空腹を感じる子どももいます。そういったときは、マニュアルよりも、その子の空腹を満たす欲求を受け止める方が精神的にも肉体的にも重要ですので、4時間おかずに授乳します。

4時間あけることは、ルールではないからです。

 

世の中を生きていくには、臨機応変に行動できる柔軟さが必要です。

特に、景気が悪い状況だとなおさらです。

これからを生き抜いていかなければならない子ども達には、マニュアル人間にだけはなってほしくないものです。

ケースカンファレンス

2012/02/27

今日は午後から、行政と各小学校・幼稚園・保育所とのケースカンファレンスがありました。

それぞれの機関で、発達に課題を抱えている子ども達に、今後どのような配慮を行うべきか等の情報交換とケース検討などを行うものですが、年に数回、各機関から担当者が集まって数時間にわたり会議をしています。

今日のカンファで出た、ある園さんに通う子のケースです。

その子は、IQが124以上あり、同年代の子ども達と上手く関われない上に、頑固で、その子の対応に保育士が苦労している、というのです。

IQは、85から115程度が平均の範囲で、120を超えると非常に高い数値とされています。

120を超える場合、いわゆる天才肌タイプの子どもで、知的な面が非常に高いケースが多いわけです。

その話を聞いて、一体何に困るんだろうと不思議でなりませんでした。

同年代の子どもとうまく関われないのは、その子の発達レベルが同年代の子どもよりもたまたま上の年代の子どもたちと同じなわけであって、上手く関われないわけではなく、ただ、自分の発達に合った環境がないために、つまらなさを感じているだけのことです。

そのことで、トラブルになるならば、園はその子の知的その他の欲求を満たせる環境を用意してあげるべきですし、ひとりひとりに合った保育を提供するのが、今の日本の保育の最低限のルールなわけですから(現に、保育所保育指針には、ひとりひとりに合った保育を提供するようにはっきりと明文化されています)、子ども自身に問題があるわけではなく、きちんとした保育を提供していない園に問題があるのではないかなととても疑問に思いました。

喉まで出かかったのですが、下手なことを言うと、園否定や保育士否定としか受けられない恐れがあったため、何も言いませんでしたが・・・。

 

なんだかこういった話を聞くと、じゃあおとなは一体どういう子どもだったら納得するのかな?と疑問に思ってしまいますね。

要するに、平均で、枠からはみ出ず、集団の中にきっちり収まり、おとなの言うことだけを盲目的に正しいと受け入れる、そんな子どもしか「いい子」じゃないのでしょうか。

それ以外の子どもは、みんな「問題のある子ども」なんでしょうか。

 

なんだかおかしな話ですよね。

誰一人同じ人間なんていないですし、特にこの乳幼児期は、社会的なルールやモラルを身につけるには、まずは、子どもの受容をきっちり経ることが最低限必要な時期です。

子どもの需要を無視して、おとなの受容を子どもに強いてる気がしてなりません。

そんな状態でよく「子どものため」とか言えるなぁ・・・と中身が子どものままの私は、純粋にそう思ってしまいます。

食べるということ

2012/02/26

昨日、食育に関しての研修を受け、他の園のプレゼンや講義を聞きながら、ふと、そもそも食べることってなんだろう?と考えました。

私達って毎日毎日、当たり前のように何かを食べたり飲んだりしていますよね。

なんで食べるのかって言えば、お腹が減るから。

なんでお腹が減るかといえば、自分の身体が死なないように生き続けるため。

じゃあ、食べることさえすればいいのかというと、そうではないんですね。

食とこころって密接に結びついていて、食べることに関して何かを強制され続けると、徐々に何らかの警告を体が発するようになってきます。

例えば、過食や拒食などですね。

こんな話があります。

私の友人は、子どものころから、家族みんなで食事をすることを義務付けられていました。家族みんなで食事をすることは決して悪いことではないのですが、その食事の風景はとても厳格で、お箸の持ち方、食べる姿勢、食べる順番などなど、しつけがとても厳しく、少しでもやり方が違うと、お父さんから怒鳴られていたそうです。

好き嫌いなんてもってのほかです。

食事中は、必要最低限の会話のみで、静かな食卓を家族で囲む毎日だったそうです。

友人は、とにかくその食事の時間が嫌で嫌でたまらなく、お母さんが作る食事をおいしいと感じる余裕もなく、とにかく食卓に並んだものを口に詰め込み、早く食事を終わらせることが一番の目的だったそうです。

高校卒業後、その友人は、一人暮らしを始め、自炊をするようになり、ダイエットに成功したんですが、特別なダイエットをしたということはなかったんですね。

ただ、食事をちゃんと噛んで食べるようにしたということと、食事を楽しんだということだけ。

つまり、実家にいるときの食事は、嫌な時間だったため、ほとんど噛まずに飲み込んでいたのです。そして、自分が食べたい量ではなく、出されたものを全部食べなければいけなかったため、過食になっていたわけです。

そして、慢性的に悪かった胃腸の状態もよくなり、便秘も解消されたそうです。

 

もしかすると、最近の若い人たちの孤食などは、こういった家庭での融通のきかないマニュアル的な食事風景が原因のひとつでもあるのかもしれませんね。

こうするのがいい、ああするのがいいと、本やテレビなどでいろんなことがマニュアル化されていますが、そこにいる人間の状況に応じて活用しなければ、効果が出るどころか歪みが出てしまいます。

こういったことは、現代では、長い時間を過ごす場所である保育所でもみられることではないでしょうか。

そこにいる子ども達がどんな表情で食事をしているか、子ども達がその時に何を感じているか、どんな意思をもっているか、そういったことをきちんと私達が感じ取り、臨機応変に対応していくことが、現代では特に必要なのではないかと思います。

食育研修会

2012/02/25

今日はお昼から春日市のまみぃ保育園さんで食育研修会でした。

子ども・子育て新システムの子ども指針のワーキングチームの一員であり、新宿せいが保育園の園長の藤森平司氏を講師にお招きして、北は石川県、南は鹿児島県という全国各地の先生方と共に食育について学んできました。

まみぃ保育園さんに向かう前に、今回の参加者である光徳保育園の副園長先生と佼成育子園の主任保育士さんがうちの園に見学に来られました。

短時間でのバタバタした見学でしたが、わざわざおいで頂き、本当にありがとうございました。

食育研修会は、福岡県見守る保育研究会の番外編として行いましたので、事務局である私は事務的なことをチマチマとやりながら、会場で、新宿せいがさん・まみぃさんの食育に関する取り組みを聞きました。

うちからは、うれしいことに栄養士さんが全員参加してくれ、とても熱心に聞き入ってました。

きっと、今回学んだことを、いろんな形で実践してくれるんだろうなぁ・・・。

すごく楽しみです!

 

今回の研修は、突発的なもので、かなり突貫での研修だったのですが、全国各地から福岡に集まっていただき、総勢50名近くの参加者となりました。

各地で保育に本気で取り組んでらっしゃる方ばかりで、みなさんとお話をさせて頂く事で、またいろんな気づきを頂くことができました。

子どもを主体において保育の話ができるということは、本当に嬉しくありがたいことです。

こういった話が地域でできるのが一番いいのですが、地域での研修といえば、なんかこう、腹の探り合いとか、プライドのぶつかり合いとかで、基準が子どもではなく「おとなの見栄」なので、一向に保育の話なんてできません・・・。

今の時代だからこそ、子どもを主体にした保育の話を横のつながりを持って深めていかなければいけないと思うのですが、なかなか・・・。

 

本当に、いろんなことを振り返ったり、学んだり出来た1日でした。

食育に関しての内容は、今後、小出しにしていきますね!

 

気になる子って?

2012/02/24

この数年、「気になる子」という言葉があちこちで出てきます。

いわゆるじっとできない子や発達が偏っている子などのことを遠まわしに言う表現なのですが、この「気になる子」というのは、どうもおとな主体の表現のような気がしてなりません。

おとなから見て「気になる」わけで、それが子どもの発達を専門的にみた上での考えならまだ理解できますが、どうもただ「おとなの言うことをきかない」とか「思い通りに動かない」とか大人の都合で見ての言葉のような気がします。

そして、何を基準に気になっているかというと、子どもの月齢に応じた発達の平均的なものを目安に、それに達していない場合に「気になる」わけです。

確かに、月齢ごとの発達の目安は、子どもの発達をみていく上で、目安としては有効的なものですが、それはあくまでも目安であって、発達のスピードは子どもそれぞれで違います。

親からすると心配ですし、遅れているんじゃないかと不安になることも多いと思います。

一番不安になるのは、誰よりもその子どもの親であるわけです。

ですが、近年、発達障害や気になる子だという言葉が、さまざまな所で耳にするようになり、専門的な知識もなくケアも出来ない人が、やたらとこれらの言葉を使っては知った顔で発言することが多くある気がします。

専門的な知識もなく、マニュアル本を見ただけで、子どもを判断し、決めつけ、やたらとすぐに検査をしたがったり、なにかしらの診断名をつけることに躍起になったり・・・。

その結果、親に対して負担を強いるばかりで、まともなケアもできず、虐待や育児不安を煽るだけにつながってしまっていることは否定できません。

 

確かに、子どものためを思えば、早めに苦手なところを発見し、それをケアしていくことがとても大事です。

ですが、親の受容もなしに、「子どものため」だといういかにも素晴らしい名目を掲げ、やたらと色分けしようとしている所が目立ってます。

行政にしてもそうですし、幼稚園や保育所・学校などでもそうです。

本当に子どもの発達を考え、子どものためを思うプロならば、いかに親の不安を取り除きながら、負担をかけずに、前向きに子育てできるようなケアで子どもの苦手な部分を補うやり方をやっていくのが、本当のプロというものではないでしょうか。

もちろん、私を含め、うちのスタッフたちは、まだまだプロと呼べるほどのものではありませんし、発展途上ではあります。

ですが、プロとしての意識だけは、常に忘れないようにしています。

親を追い詰め、子どもを追い詰め、色分けして診断名をつけることが、本当のプロの仕事でしょうか?

それが本当に子どものためでしょうか?

プロとして、もう一度、「プロということ」、「本当に子どものためということ」、そういったことを特に行政と同業者には考えてほしいものです。

 

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