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園長の日記

インターネット

2012/03/14

ネット社会になってから、様々な情報を簡単に入手できるようになり、とても便利な世の中になりましたが、同時に、悪意のある情報も流出しています。

匿名でのインターネット上の掲示板や、アダルトサイトなど、無料で簡単にアクセスできます。

アダルトサイトなどは、男性の方からすれば、とても嬉しいものかもしれません。

そういったサイトによって、性犯罪の頻発を抑制している効果があることも否定できません。

同じように、匿名での掲示板などもそうなのかもしれませんが、どちらも子どもにとっては害にしかなりません。

特に匿名の掲示板などは、いわゆるその掲示板を四六時中チェックしている「住人」と呼ばれる人々がいて、そういった人は面白半分でちょっと気に入らない特定の誰かを攻撃します。

近年、小中高生の間でもこの匿名の掲示板が流行り、実名を挙げて非難したりあることないこと書き込まれたりして被害に遭う子どもが増えています。

こういった場合、一番いいのは、子どもの目に触れさせないことです。

自分の名前が挙がれば、少なからずショックを受けますし、それが後々、心理的な負担となり、ゆくゆくは精神障害を起こしたり、自ら命を絶ってしまうなどの不幸にもつながりかねません。

 

先日、有名な「2ちゃんねる」という匿名の掲示板で麻薬の取引が行われたとのニュースが流れていました。

警察により捜査が開始されていますが、「2ちゃんねる」の創設者だけでなく、それぞれの掲示板の管理人といわれる人たちへの聴取も始まりました。

警察の事情聴取に対して、どの答えも非常に曖昧で、まるで自分には責任はまったくありませんというように取れるものばかりです。

確かに、聴取された方々それぞれが、自分で手を下したことではないにしても、匿名での掲示板が悪用されることなどは、最初から分かっていたはずです。

あまりにも無責任すぎる気がしますね。

 

特に、こういった掲示板によって傷つく子ども達の数が年々増加傾向にある中で、本当に匿名での掲示板は必要なのかと思ってしまいます。

私個人としては、まったく必要ないと思っています。

匿名であることで気が大きくなったり、誰かを追い詰めたりしても、その責任や罪悪感を感じにくいと思いますし、何よりも匿名というのは卑怯ですよね。

それだけ自分に自信がない人が多いのかもしれませんが、だからこそ、自分の意見にはちゃんと責任を持ち、他の人の意見を受け入れたりなどのコミュニケーションを通して、相手に何かを伝え、時には自分を振り返ったりすることで、人間として成長できるのだと思います。

 

嫌がらせが目的の掲示板は今すぐにでもなくしてしまうべきだと思います。

情報

2012/03/13

現代社会は情報社会と言っても過言ではないくらい様々な情報に溢れています。

これまでは図書館に出向いたり、書籍を購入したり、自分の足を使ってしか情報を得ることができませんでしたが、インターネットの普及により、自宅にいながら、また、出先でもi-foneやスマートフォンなどのツールを利用して、様々な情報を得ることができます。

確かにとても便利で、急ぎの際にお目当ての情報をすぐに入手できるのはとてもありがたいことです。

ですが、ネット上の情報が100%正しいか、と言われると、そのあたりはある程度の疑いを持たなければいけません。

このブログを見て下さっている方々も経験がおありと思うのですが、自分が入手したい情報を探したときに、必ずと言っていいほど、いろんな情報がありふれていて、どれが正しいのか分からなくなってしまいます。

同じことでも全く逆のものがあったり、ほとんどは納得できてもどこか違和感を感じたり・・・。

ですので、その情報をそのまま鵜呑みにするのではなく、一度違う視点でその情報を見つめ、何度も自分の中で咀嚼し、本当に自分に必要な情報だけを選ぶことが必要になってきます。

そのために、常日頃から、「自分で何かを選び取る」ことや「自分で選んだことに責任を持つ」ことを意識して生きていかなければいけません。

そして、常に何かを選んでいくということは、おとなになって急に身につくものではなく、生まれたときからその訓練は始まっています。

 

見学者

2012/03/12

うちの園は、常日頃からかなりオープンな感じですので、1年中を通して様々な見学者が訪れます。

保育園・幼稚園関係者や保育用品などの業者さん、園に通ってる保護者のお友だちや保育園を探している人など、本当に様々です。

特に、年が変わる前くらいから、保育園を探している保護者の方の見学が多くあります。

子どものことを思えば、どの園に入園させるかは保護者にとってとても悩むところです。

ですので、見学に来られた方には、いろんな園に実際に見学することをお勧めしています。

どうしても「合う・合わない」という相性の問題もありますから、保護者と子どもが納得する園に通うことが園生活をより充実して送ることができますから。

いろんな園を見学に行って、比較して、自分の家庭に合った園を選べるようにと、見学に来られた方には、園に関する様々な情報が掲載された「入園のしおり」と見学に来られた月のお便りの冊子(園だより・カリキュラム・ほけんだより・給食だより・クラスだより)をお渡ししています。

ところが・・・

これら見学者にお渡しするものには、職員の個人情報や、園での行事内容などが載っているのですが、それを嫌がらせの材料にする人が世の中にはいるんですね・・・。

あたかも自分がうちの園に通う子どもの保護者かのようなふりをして、役所にクレームの電話を入れる方が出てきました。

 

保護者からの相談や意見などは、その都度、できる限りの対応を心がけていますし、保護者の皆さんも、いろんなことを気軽に仰ってくれています。

日ごろから、いろんな保護者の方々が園に対してとても協力的ですし、園に通うすべての子ども達へ温かい眼差しを向けてくれてもいます。

 

確かに今の世の中はお世辞にも生き易い世の中とはいえませんし、それぞれがいろんな悩みやストレスを抱えているのが現状なのですが、だからといって、今回のように、自分のストレスを解消するために、うちの園の職員や保護者に迷惑をかけるような行為はやめてもらいたいものです。

 

東日本大震災

2012/03/11

ちょうど一年前の14時46分に起こった東日本大震災が起こりました。

今日は日曜日ということもあり、東日本の各地で追悼式が行われました。

今回の大震災の傷跡は、1年経った今もまだ消えず、2次的3時的な被害を起こしています。

過酷な状況の中、日々を一生懸命生きる人がたくさんいます。

私達は、つい目の前のことだけに囚われがちで、テレビや新聞、インターネットで見聞きした出来事を他人事のように受け止め、自分とは無関係だと思いがちです。

確かに現代の日本は、景気も悪く、物はあっても心のどこかに空しさを感じたり、日々疲れきって心の余裕をなくしがちになったり、およそ幸福感とは無縁の状態にあるかのように感じます。

自分が置かれている環境によるのでしょうが、生きるということ、幸せということ、人間であるということ、そういった様々な事をもう一度見つめなおし、今の自分のあり方を考え直すということを忘れてはいけないと思います。

今回、大震災で被害に遭われたすべての方々のご冥福をお祈りすると共に、今もなお過酷な環境の中で日々を送っていらっしゃる皆様に心よりエールを送りたいと思います。

次年度に向けて

2012/03/10

3月も半ばに差し掛かろうとしています。

年度末ということもあって、卒園する子ども達のアルバム作りや卒園式などの準備と同時に、次年度の準備も合わせて進めています。

来週末の土曜日は、平成24年度の入園・進級説明会を行います。

毎年度、年度当初に新規で入園してくる子どもというのはかなり少なく、年度途中からの入園が多いのが昨今の風潮ですね。

そのお陰もあり、園では、だいたい運動会が終わってから年明けくらいまでの間で、徐々に次の年度に向けての移行を行っています。

ですので、新年度を迎えるころには、子ども達はすっかりひとつ上のクラスでの生活に慣れていますので、いわゆる「年度当初で子ども達が落ち着いていない」という現象はほとんどありません。

どちらかといえば、年度当初よりも年度末のほうが、子ども達は落ち着きがないように感じます。

というのも、年長さんの卒園があるからです。

わくわく・わんぱく組さんは、特に年長さんとのつながりが大きく、いろんなところで年長さんに支えられてきたことが多いので、どうしてもこの「お別れの時期」には不安定になってしまいます。

年長さんも、卒園する寂しさや小学校入学への不安・期待でそわそわすることも多くなります。

一見、すごく不安定で、おとなから見ると心配になることもありますが、子ども達は、こういった別れと出会いとを繰り返すことで、それぞれの心の中で、様々な思いを抱え成長していきます。

少しずつ次のステップへ進もうとしている子ども達を一緒に見守って頂けたらと思います。

またまた・・・

2012/03/09

うっかり金曜日の分をUPするのを忘れてました・・・

下書きはWORDでしていて、UP用のページに貼り付けてUPするだけだったんですが、下書きを途中までして保存した時点で、すっかりUPした気になってました(笑

年度末で気が焦ってるんでしょうねぇ(笑

来年度はこういった「うっかりミス」を少しでもなくせたらいいなと思います。

 

 

 

授業風景

2012/03/08

昨日のブログで、教育という言葉の捉え方で授業風景が違うことに触れました。

数年前に、京都のある私立小学校で、オランダのイエナプラン教育者(日本でいうところの小学校教諭である方々でした)が行う小学生へのモデル授業に参加した時のことです。

まず、日本式の理科の授業の後に、オランダ式の理科の授業がありました。

日本式の授業は、先生が黒板の前に立ち、生徒がグループごとに座り、実験をし、その実験結果を発表し、それを先生がまとめて板書する方法でした。

次のコマのオランダ式の授業では、場所を体育館にうつし、ホワイトボードの前に先生が立ちました。

生徒はホワイトボードが見える形で適当に座っています。

そして、授業が始まりました。

先生「エネルギーと聞いたら何を思い浮かべますか」

生徒は、誰も発言しません。

先生「答えを聞いているわけではないから安心して。思い浮かんだことをどんどん発言して」

この一言で、少しずつ意見が出てきました。

最初に発言した生徒が言ったのは、「電池」でした。

先生は、ホワイトボードの真ん中に大きく「エネルギー」と書き、その横に「電池」と書き、エネルギーと電池を線で結びました。

次に出たのは、「地球」でした。

先生は、今度は別のスペースに「地球」と書き、同様に、「エネルギー」と線で結びます。

「太陽」と出れば、「地球」と結びます。

「電気」と出れば「電池」と結びます。

そうやって、出てきた意見はすべて先生によってカテゴライズされながら、エネルギーと結びついていきました。

そして、どの生徒の発言も、否定されることなく、どこかに線で結びついていきました。

 

日本式の授業とあまりにも違うことにびっくりしたと同時に、何ていい授業なんだろうと思いました。

知識を知識だけで終わらせず、理科の授業でありながら、他の教科にも結びつき、且つ、正解・不正解で判断するのではなく、すべての子どもの個性を受容する授業風景でした。

結果的に、発言しなかった生徒は一人もいませんでした。そして、発言を否定された生徒も一人もいませんでした。

言い換えれば、本当の意味で、すべての生徒が授業に参加していたわけです。

さすが、世界の中で、子どもの幸福度の順位が高い国だけあって、教育レベルが高いなぁと、当時は心から感心しました。

あのときの、授業に参加していた生徒達のひとりひとりの生き生きとした能動的に授業に参加している表情は、今でも忘れることができません。

仕事柄、いろんな小学校にお邪魔させてもらう機会がありますが、あれほどすべての子ども達が素晴しい表情で授業に参加している風景を、未だに日本では見た事がありません。

教育

2012/03/07

今後、展開されていく「子ども・子育て新システム」では、幼保一元化が大きな目的となっていますが、それに伴い、管轄省庁や法令、日々の保育のよりどころとなる指針なども随所が変更となってきます。

現時点では、幼稚園は幼稚園教育要領、保育園では保育所保育指針を最低基準として日々の保育に当たっているわけですが、この指針も、一元化へ向けて「子ども指針」(仮称)へと変わります。

この子ども指針では、これまで保育所が担ってきた部分を養護とし、幼稚園が担ってきたものを学校教育と表記されるようです(あくまでもおおまかに言えば、の話です)。

本来、「保育」とは、「教育と養護が一体となったもの」であるのに、わざわざここにきて、養護と学校教育とに分けた意味がまったく分かりません。

まぁ、このあたり、いわゆる「おとなの事情」とやらが絡んでいるんでしょうね。

こういったつまらない大人のプライドが、今後の現場の人間を混乱させることに繋がるんですけど、そういったことは、お構いなしに進めていくあたり、本当に子どものことを考えているのかと疑問に思います。

 

ちなみに、「教育」とは、日本では、「教えてはぐくむもの」と書きます。いわゆる先生と呼ばれる人が、生徒に一方的に何かを教え、育てていくという意味です。

世界での共通語のひとつである英語では、educationが日本語で言うところの教育に当たるのですが、これはそもそも、ラテン語の「能力を外へ導き出す」(ラテン語ductus(外へ+dcere導く+-ATE1=能力を導き出す)ところから来ています。

ですので、何かを教えこむことではなく、「相手から何かを引き出す」ことが教育にあたるわけです。

この「教育」という言葉の受け取り方の違いは、その国の授業風景にも現れています。

 

ペンギン大脱走

2012/03/06

数日前から、千葉県の葛西水族園から逃げ出したフンボルトペンギンの話題がメディアで取り上げられています。

これまで、全国各地の動物園などから動物が逃げ出すニュースがちらほらとありますね。

動物が逃げ出すと、管理している施設の職員は大慌てで捜索を開始します。

逃げ出した動物が、人間にとって害を及ぼしたり、生態系を変えてしまったりする危険性があるため、警察なども出動しての捜索になります。

施設から動物が逃げ出すたびに思うのですが、小さな檻や敷地から逃げ出したいと思うのは、動物の本能なのでしょうね。

それもそのはずです。動物にとっては、自然での生活が一番合っているのですから。

ただ、施設にいる動物は、人間が管理している施設で生まれることが多く、人間によって育てられた動物は、自然界に帰したところで、生き延びることはできないそうです。

ですので、かわいそうだからと言って自然に帰すことがその動物のためかと言われれば、一概にはそうは言えません。

動物園や水族館など、人間がその動物の生息地に行くことなく、その動物の形や大きさなどを知るためには欠かせないものかもしれません。

人間の知的欲求を満たすための施設であるので、人間からすれば、大事な施設です。

ですが、逆に動物からみれば、本来の姿を奪われ、人間のために人間に管理されているだけです。

人間もこの地球上では、同じ動物です。

地球上にいる様々な動物の中の一種でしかありません。

私たちは日々、そのことを忘れて生きています。あたかも人間が地球上で一番偉い上位の生き物のようなつもりで生きています。

確かに、地球上の生物の中で、一番脳が発達し、社会的な生き物ではありますし、いわゆる高等動物に位置づけられる種であることは間違いありませんが、だからといって、一番偉いわけでも、優先されるわけでもありません。

自然によって生かされ、他の生物によって生かされているのが人間です。

これからの時代、特にそういった原点に返った考えを頭の片隅にでもいいので持って生きていくことが必要不可欠なのではないかと思います。

もうすぐ

2012/03/05

もうすぐ東日本大震災から1年が経過します。

当日は、平日で、園にはテレビがありませんでしたので、まったく何も知らずに夕方のニュースで初めて震災のことを知りました。

テレビなどの映像でも、その凄惨さは想像を絶するもので、すぐに各地の友人・知人の無事を確認したくても、携帯電話も固定電話もつながりませんでした。

時間がたつにつれ、幸いにもすべての友人・知人の無事が確認できましたが、ご家族や友人などを亡くされた方が多くいらっしゃることを思うと、大きな声で喜ぶこともできませんでした。

1年が経過しようとする現在でも、まだ捜索は続き、行方不明者は数え切れないくらい多くいらっしゃいます。

日本は島国で、地震が起きやすいプレートの上に乗っています。

たまたま東日本で起こっただけで、日本全国どこで起こってもおかしくない震災でした。

未だにそれまでの生活に戻れていない方々も多くいらっしゃる中、私たちは何も変わらない毎日を送っています。

そのことで、申し訳ないと思う気持ちもあり、同時に、普段どおりに生活できることの有難さも感じる日々です。

震災に遭われたすべての方々へ心より追悼の念とお悔やみの思いを忘れずに生きていこうと思います。

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