昨日のブログで、教育という言葉の捉え方で授業風景が違うことに触れました。
数年前に、京都のある私立小学校で、オランダのイエナプラン教育者(日本でいうところの小学校教諭である方々でした)が行う小学生へのモデル授業に参加した時のことです。
まず、日本式の理科の授業の後に、オランダ式の理科の授業がありました。
日本式の授業は、先生が黒板の前に立ち、生徒がグループごとに座り、実験をし、その実験結果を発表し、それを先生がまとめて板書する方法でした。
次のコマのオランダ式の授業では、場所を体育館にうつし、ホワイトボードの前に先生が立ちました。
生徒はホワイトボードが見える形で適当に座っています。
そして、授業が始まりました。
先生「エネルギーと聞いたら何を思い浮かべますか」
生徒は、誰も発言しません。
先生「答えを聞いているわけではないから安心して。思い浮かんだことをどんどん発言して」
この一言で、少しずつ意見が出てきました。
最初に発言した生徒が言ったのは、「電池」でした。
先生は、ホワイトボードの真ん中に大きく「エネルギー」と書き、その横に「電池」と書き、エネルギーと電池を線で結びました。
次に出たのは、「地球」でした。
先生は、今度は別のスペースに「地球」と書き、同様に、「エネルギー」と線で結びます。
「太陽」と出れば、「地球」と結びます。
「電気」と出れば「電池」と結びます。
そうやって、出てきた意見はすべて先生によってカテゴライズされながら、エネルギーと結びついていきました。
そして、どの生徒の発言も、否定されることなく、どこかに線で結びついていきました。
日本式の授業とあまりにも違うことにびっくりしたと同時に、何ていい授業なんだろうと思いました。
知識を知識だけで終わらせず、理科の授業でありながら、他の教科にも結びつき、且つ、正解・不正解で判断するのではなく、すべての子どもの個性を受容する授業風景でした。
結果的に、発言しなかった生徒は一人もいませんでした。そして、発言を否定された生徒も一人もいませんでした。
言い換えれば、本当の意味で、すべての生徒が授業に参加していたわけです。
さすが、世界の中で、子どもの幸福度の順位が高い国だけあって、教育レベルが高いなぁと、当時は心から感心しました。
あのときの、授業に参加していた生徒達のひとりひとりの生き生きとした能動的に授業に参加している表情は、今でも忘れることができません。
仕事柄、いろんな小学校にお邪魔させてもらう機会がありますが、あれほどすべての子ども達が素晴しい表情で授業に参加している風景を、未だに日本では見た事がありません。