今後、展開されていく「子ども・子育て新システム」では、幼保一元化が大きな目的となっていますが、それに伴い、管轄省庁や法令、日々の保育のよりどころとなる指針なども随所が変更となってきます。
現時点では、幼稚園は幼稚園教育要領、保育園では保育所保育指針を最低基準として日々の保育に当たっているわけですが、この指針も、一元化へ向けて「子ども指針」(仮称)へと変わります。
この子ども指針では、これまで保育所が担ってきた部分を養護とし、幼稚園が担ってきたものを学校教育と表記されるようです(あくまでもおおまかに言えば、の話です)。
本来、「保育」とは、「教育と養護が一体となったもの」であるのに、わざわざここにきて、養護と学校教育とに分けた意味がまったく分かりません。
まぁ、このあたり、いわゆる「おとなの事情」とやらが絡んでいるんでしょうね。
こういったつまらない大人のプライドが、今後の現場の人間を混乱させることに繋がるんですけど、そういったことは、お構いなしに進めていくあたり、本当に子どものことを考えているのかと疑問に思います。
ちなみに、「教育」とは、日本では、「教えてはぐくむもの」と書きます。いわゆる先生と呼ばれる人が、生徒に一方的に何かを教え、育てていくという意味です。
世界での共通語のひとつである英語では、educationが日本語で言うところの教育に当たるのですが、これはそもそも、ラテン語の「能力を外へ導き出す」(ラテン語ductus(外へ+dcere導く+-ATE1=能力を導き出す)ところから来ています。
ですので、何かを教えこむことではなく、「相手から何かを引き出す」ことが教育にあたるわけです。
この「教育」という言葉の受け取り方の違いは、その国の授業風景にも現れています。