乳幼児期は人生の基盤を培う時期だと言われています。
その後の人生のすべてが決まる、ということではなく、その後の人生におけるあらゆることのベースが、一番効率的に身につく時期であるということです。
あくまでも「ベース」なので、何らかの形で確認することはそうそうできません。
いわゆる「結果」として、現れてくるのは、ずいぶんと先のことになります。
すぐ目の前にあるのが小学校ですから、小学校で困らないように、と目先のことばかりを考えがちになり、小学校がこうだから、小学校で困るから、と、乳幼児期に小学校と同じようなあり方を求めようとするおとなは多いですね。
育児世代のおとなが不安になるのはわかるのですが、びっくりするのが小学校や中学校の先生、同じ乳幼児期の保育教育に携わる人の一部でも、いまだに乳幼児期を「小学校の準備期間」としか捉えていない人がみられることです。
乳幼児期で培ったものが何らかの結果として現れるのは、おとなになってからです。
人間にとって、小学校や中学校が人生のゴールではありません。
その後の人生の方が何倍も長いのです。
ですから、かなり長期的な視点にたって、目の前の子どもがおとなになったときにどうなのか、を念頭においた保育教育が大事になってくるのですが、日本ではそういった専門的な視点で保育や教育を捉える人がまだまだ少ないですね。
少し前に、面白い記事を見ました。
もし、ビルゲイツ氏が日本で教育を受けていたら、どうだったか。
という仮定にたった記事でした。
そこでは、きっと今のビルゲイツ氏もマイクロソフトもないだろう、と結論付けてありましたが、私も同じように思います。
もし、ビルゲイツ氏が日本で育っていたら、まずは早い時期、乳幼児期に早々に、色分けされて療育などに通わされ、さっさと診断名をつけられ、その後は、型からはみ出る「困った子」として扱われ、心を折られ、不登校などになり、社会に出る時期になって社会に出ても、非効率で不合理さばかりで、無駄の多さで病んでしまう、という様なストーリーしか私には思い浮かびません。
ただ、早々に留学してしまってるでしょうね。
タイトルからずれてしまいましたが、「年齢」や「目に見えること」だけで子どもを判断するのではなく、その子の発達や特性、個性などに応じて教育を受けることができるような国になってほしいなと思います。そういった教育を受けることによって、自分なりの人生を歩んでくことができるようになるのではないかと思います。