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子どもエッセイ

合理的配慮①

2016/07/01

2016年4月より、通称「障害者差別解消法」(障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律)が施行されました。

これは、障害を抱える人が、自分の特性に応じた配慮を受けることができるための法律です。

この法律の施行によって、行政や事業所、学校などは、可能な限り、各個人の障害の特性に応じた配慮を行わなければならない義務が生じました。

配慮といっても、本人が求めていないものを提供するのではなく、本人が求めているものを合理的に提供する、いわゆる合理的配慮になります。

これまでの「弱者」としての取扱ではなく、「本人の意思表示による配慮」です。

一般的に「障害」といえば、ほとんどの方が、「かわいそう」だから「手伝ってあげる」といった感情を持って手を差し伸べます。

当事者が望んでいるいないに関わらず、です。

そこで、当事者が声をあげました。

「私たちのことを私たち抜きで決めないで」と。

もっと主体的に自分の生き方を決めたいと、誰もが思います。

それは障害のあるなしに関わらず、です。

そこで、国連総会で「障害者の権利に関する条約」が採択されたわけです。

日本も様々な法整備を整えた上で、2014年に批准し、今回の法の制定・施行になりました。

もっと具体的に説明すると、合理的配慮により、いわゆる「社会的障壁」をできるだけなくしていこうとする法律です。

社会的障壁というと、難しく感じちゃいますね。

要するに、個人の心身の機能障害だけでなく、社会の制度や環境が障壁となって、その人の生活に障害をもたらしているもの、をできるだけ世の中でなくしていきましょう、ということです。

これまでは、身体的な障害を持つ人々への配慮ばかりが表立っていましたが、ここに「機能障害」が含まれるわけですから、いわゆる「発達障害」も含まれます。

例えば、コミュニケーションが苦手な人が、カードや文字盤などで意思表示ができるように配慮すること(ただし、本人が求めている場合)や、大きな音が苦手な人や視野が広すぎると混乱してしまう人へ対して、イヤホンや低い壁・サングラスなどの着用を認めること(ただし、本人が求めている場合)などが具体的な合理的配慮として挙げられます。

しつこいようですが、「本人が求めている場合」です。

日本人は優しくて気配り上手な人が多いので、本人の意思<やってあげたいこと、となる人が多いのですが、本人が求めていないのに、配慮する側の思いだけで行動してしまえば、有難迷惑になってしまいます。

ですから、上記の「私たち抜きで~」の一文になるわけですね。

 

日本においては、自己の意思表示=ワガママと捉えられる風潮がまだ強く、なかなか意思表示をしても受け入れてもらえないことが多くあります。

ですが、合理的配慮には本人の意思表示が不可欠です。必ずしも言葉によるものでなくても、人間は何らかの意思を表示しようとします。

それを頭からワガママであると決めつけてしまうような日本の風潮は、合理的配慮をできる環境であるとはお世辞にも言えません。

合理的配慮ができるようになるまでに、長い長い道のりを歩まないといけないでしょうね。

まずは、そこの基本的な概念から身に付けなければならないのが、現状です。

 

ほんと、何が先進国なんだか・・・(笑)。

 

 

 

 

 

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