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子どもエッセイ

喜怒哀楽

2012/07/07

人間の感情には、喜怒哀楽があります。

その喜怒哀楽を表すことは、人として当たり前のことだと思うのですが、おとなになってTPOをわきまえず周りに迷惑をかけてまで出してしまうのはどうかと思います。

そういう人たちは、自分の感情の表し方を、時と場所によって上手に使い分けて表現するということを学んでこなかったのでしょうね。

これは何も、本人の責任によるものではないと思います。

それまでその人が生きてきた中で、自分を正当に表現する機会を与えてもらえなかったのがガン印のひとつではないかと思うのです。

それを突き詰めると、やはり乳幼児期に突き当たる気がします。

 

子どもにももちろん、喜怒哀楽があります。

そして、その喜怒哀楽を思い切り表現することを通して、徐々にTPOをわきまえた感情表現を学んでいくものだと思います。

ですが、その学ぶ機会を最初から奪われてしまったらどうでしょう?

嬉しすぎてはしゃぐと、「うるさい」と怒られる。

頭に来て怒ると、「思いやりがない」と怒られる。

哀しくて泣いていると、「しつこい」と鬱陶しがられる。

楽しくてはしゃぐと、「興奮しすぎて落ち着きがない」とレッテルを貼られる。

こんな状態だと、子どもは自分の感情を表現すること自体が「いけないこと」だと認識し、感情を押し殺すことを学びます。

TPOをわきまえることを頭ごなしに指示する前に、子どもがそのときに感じた感情に共感することがまず最初に行うべきおとなの行動ではないでしょうか。

おとなだって同じじゃありません?

辛い時に泣いていて、かけてほしい言葉は、「辛かったね」という言葉じゃないですか?

「いつまでも泣いてても仕方ない」という正論ではないですよね。

 

自分の感情を自分自身が感じることで、他人の感情を理解することができます。

そうすることで、初めて「思いやり」の気持ちが出てくるのではないでしょうか。

子どもの喜怒哀楽を押さえつけ、感情表現を奪うことは、そのまま「他者への思いやりを持つ」機会を奪ってしまうことだと思います。

喜怒哀楽の表現の仕方を考えなければならない、ということを学ぶのが、保育園という場所の役割のひとつだと思います。

そのために、まずは喜怒哀楽を表現できる場の提供が第一のステップではないでしょうか。

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