子どもを育てるおとなの役割とはいったいどういったものでしょうか?
身の回りのお世話をすること?
生活のために働くこと?
いろんな知識を教えてあげること?
確かにそのどれもが大事ですね。
それ以外にも、大きな役割のひとつとして、子どもを一人の人間として認め尊重することも大事です。
我が子と言えども、自分とは違う人間であることを認めることが最優先事項ではないかと思います。
これがどうもうまく機能していないというか、子どもにやたらとおとなの理想と期待を押し付ける姿が目立つ気がするのですが、気のせいでしょうか?
人生を豊かに生き抜いてほしいと思うのは親ならば当然の心理です。
私たち保育者も同じ気持ちです。
だから、困らないようにあらゆる習い事などを経験させようとします。
しかし、子ども本人に、興味がなかったり、大きなストレスがかかっていたり、心の底から嫌がっていたり、そもそも向いていなかったりする状態にもかかわらず、おとなの思いだけで何かを強要することは、それは「子どものため」とは言えません。
そのおとなの思いが、曲者で、「自分が苦労したから」とか「自分はできなかったから」という理由が結構あると思うんですが、この理由はその心理は理解できますが、結果としてあまり子どものためにはなりにくい理由です。
というのも、自分と子どもは違う人間だからです。
自分とは、生きていく環境も時代背景も、関わる友だちやおとなも違います。そもそも違う人間なので、性格や個性も違います。
と、頭ではわかっていても、なかなか気持ちがついていかないのが人間です。
ですから、その心理はそのままに、ある一定の線引をしてほしいなと思います。
子どもに何かをさせたいなと思うとき、提案してみて、子どもが拒否したら、そこは一旦引いてみてください。
やり始めて、子どもの表情が曇っていたり、精神のバランスを崩したりしたら、一旦休憩してみてください。
やめたい、と言い出した時は、ちょっと休んでみて、子どもに考える猶予を与えてあげてください。
子どもは親を含めてまわりのおとなの期待に応えようと必死です。
大事なのは、おとなの評価ではなく、自分自身が楽しんで意欲的に関わっているかどうか、です。
この意欲的に関わること、自分からすすんで関わること、自分なりの意図をもって関わること、これらが先々の学びの力につながる基礎です。
評価されて嬉しいと感じるのは、子どももおとなも一緒です。
ですが、その評価は、人によって全然違います。
評価を基準にするのはダメとは思いませんが、それだけが基準になると、いつか疲れ果ててしまいます。
常に何かの見返りがないと安心しないようになってしまいます。
どうか、子どもに、子ども自身で決め、経験し、失敗し、その失敗を克服する機会を与えてあげてください。
そして、おとなは、その失敗を責めたりせず、失敗した辛さに共感しててあげてください。
失敗しないためにどうしたらいいのか、子どもが聞いて来たら、一緒に考えてください。決して、子どもが聞いてもいないのに、「こうやらないから失敗するんだ」と先回りしないで上げてください。
おとなから見れば、子どもは危なっかしく、何をしでかすかわかんない生き物かもしれません。
これだけは本当に困る、ということは、前もって伝えておき、約束事にしておいて、それ以外のことは、おとながぐっと我慢するのが、大人の役割ではないでしょうか。
私たち親世代も、お年寄りからあれこれ口うるさく言われたら、放っておいてくれ!ってなりますよね?
それと一緒です。
自分に置き換えて考えてみらどうでしょう?
自分がやろうと思うこと、やっていること、それを失敗して辛いとき、自分の親世代に話を聞いてもらえるだけで良くないですか?
アドバイスよりもほしいのは共感ではないですか?
アドバイスは求めたときだけで良くないですか?
そして、説教よりさりげないフォローがほしいと思いませんか?
困ったときにそっと助けてくれる、それが本当にほしいものではないですか?
困ったときに助けてくれる人がいれば、次の一歩を踏み出せませんか?
困ったときはその人にまた聞いてもらえるという安心感があると、前向きに取り組めませんか?
その気持ちが、子どもにとっても同様で、信頼できる人との関係性を基礎にして、自分の世界を広げていくわけです。
これがいわゆる「アタッチメント」であり、人間が生きていくための基礎になる部分のひとつです。