10年前は、社会に適応できない大人が増えてきたことや、引きこもり、ニート、自殺者などの増加から、子どもたちに「生きる力」をつけていこうと、あらゆる場面でこの「生きる力」という言葉を目にしていました。
現在も変わらず、日本においては、この力が重要視されていることに変わりはないのですが、近年は、様々な災害の問題、AIの台頭、ヒトの在り方の変化などなどから、「未来を生き抜く力」を子どもたちにつけていこうという流れになっています。
特に、これから先の未来は、予測がつかないことばかりです。まぁ、もともと未来の予測はできないんですが、優秀なエコノミストやトレーダーなどは、その分析力によってある程度の予測は可能だといいます。そういった専門家をもってしても、今後の見通しは大変持ちにくいらしいです。
そこで、今からを生きていく子どもたちには、どんな未来が待っていても、それを乗り越えていく力を身につけてほしい、と思うのは、子どもを思う大人ならば誰もが感じることですね。
では、どうやって乗り越えていくかと言えば、それは一人では到底無理なわけです。
だから、他人と協力していくことが大事になるんですね。
この「協力」も、日本的な教育では、「みんななかよく」とかに見られるように、なんとも曖昧で、表面的な仲良しごっこを求めるようなことしか教わってきてません。
協力とは、単なる表面的な仲良しごっこではなく、それぞれが役割を担って、役割分担によって互いに補い合いながら、目標に取り組んでいくこと、です。
これまでの日本の教育は、「いかに平均的な子どもをつくっていくか」に重点を置かれていて、かつ、「いかにコンピュータのように正確な知識を持ちうるか」に力を注いできていました。
そこから徐々にシフトチェンジし、「生きる力」がブームの時は、「コミュニケーション能力」に重点を置かれ、そして、今、「未来を生き抜く力」へとつながったわけです。
新しい保育所保育指針では、その力のひとつとして、例えば、「葛藤やつまづきを乗り越える」ことで、次第に身につくものであると表記されています。(これ以外の表記もあります)
これには、ともだち関係など人との関わりだけでなく、身体的な病気やケガなども含まれます。
子どもが小さいうちは、少しのケガにも敏感になり、大人は慌ててしまいがちです。心配のあまり、ケガや病気をさせまいと、やたら無菌にしたり、ケガを未然に防ぐことばかりに力を注いだりしがちです。
確かに、大きな障害が残るようなものや、命に関わるものならば未然に防ぐことが大事です。
しかし、やりすぎてしまうと、守っているつもりが逆に、危険を回避する能力や病気に対する抵抗力を奪ってしまうことになってしまいます。
ですから、多少の失敗は、先々のための必須経験と捉える長期的な視点が重要になってきます。
どうもこの長期的な視点が、現代人には足りない気がします。
目の前のことだけしか考えられず、目の前の事象がどうつながっていくのか、といった想像力に欠けると言いますか、自分の感情が最優先で、自分の行動や発言が、その後どうつながって、どう影響するか、先の見通しをもたずに衝動的に行動するおとなが目立ちます。
対して、今の子どもたちは、結構しっかりしているな、と感心することが多くあります。
受けてきた教育の差によるところが大きいのでしょうね。
そう考えると、おとなの役割とはいったいどういうものでしょうね。