先日、インクルージョン保育に関してのブログをUPしましたが、次年度からは、タイトルのコーヒージョン保育を目標にしていきたいと思います。
これも日本ではほぼ聞かれない言葉ですが、直訳すると「凝集、密着、まとまった、協心した保育」という意味になります。
子どもの個性、人種、国籍、性差、信条、宗教、年齢、障害の有無に関係なく、すべての子どもが自分なりに子ども集団をつくり、互いに補い合いながら、時には互いにぶつかり合いながら妥協点を見つけ、協力しあっていくことを目標とするのが、コーヒージョン保育です。
様々な子どもが触れ合うことで、互いに個性を認め合い、補い合うことで、子どもは柔軟性と臨機応変さを身に付けます。また、受容の経験もします。
これらが、就学した時、その後、社会に出たときに、大きく役立ちます。
なぜならば、社会には、本当にいろんな人々がいるからです。
社会で働くおとなならばよくわかっていることですが、職場というところには、気が合う人も合わない人もいます。なんだか苦手だな、好きになれないな、という人もいます。あの人困ったな、という人もいます。本当にいろんな人がいますよね。
だからといって、簡単に仕事をやめるわけにはいかず、そういった人々ともうまく距離を取りながら生きていかないといけないわけです。
そのベースとなるのが、コーヒージョン保育になります。
この価値観を経験するのとそうでないのとでは、社会に出たときに大きな差となります。
簡単な例ですと、就職した先に、どうにも合わない人がいたり、厳しい人がいたりした場合、相手を受容しつつ、適度な距離を取りつつ、仕事に臨めばいいのですが、それがまったくできないと、大きなストレスになってしまって、どっちが正しい、間違っている、敵・味方といった簡単な図式のみで判断して、早々に退職、となってしまいます。
もちろん、世の中にはブラックといえる職場もあるわけですから、そういった職場で我慢する必要はないと思いますが、福利厚生面ではホワイトなのに、人間関係でつまづいて退職はもったいない気がしますね。
コーヒージョンの考え方は、おとなになって身に付けようと思っても、なかなか難しいものです。
何十年と生きてきて、自分なりの価値観が身についていますから、そこからシフトチェンジするのはかなり難しいことです。
だからこそ、今の世の中は、精神疾患にかかってしまう人も多いのでしょうね。
もちろん、個人の価値観の問題だけでなく、社会のあり方が人権を軽視したもので
あることにも大きな要因があるとは思いますが、今のおとなが受けてきた教育にも大きな要因があると個人的には思っています。
時代と共に人のあり方も変わります。
ですから、当然、保育のあり方も変わっていかないといけません。
これからの時代を生きていくのは、子どもたちですから。
おとなはなかなか変われませんから、おとなにとっては変化多いと疲れてしまいますし、ついていくだけで精一杯になってしまいますが、それでも生きている限りは変わるべきところは変わっていかざるを得ないですね。
そして、これからを生きていく子どもたちのことをもっと信頼し、次の世代へとつなげていくことがおとなの役割であると感じます。
そのつなげるべき価値観のひとつに、このコーヒージョンの考え方が必須ではないかと思います。