現代は、少子社会で、昔に比べてずいぶんと子どもの数が減りました。
昔は、家庭の中に多くのきょうだいがいて、父母だけでなく祖父母や曾祖父母までみんなで一緒に生活する家庭がほとんどでした。
しかし、少子社会と様々な理由により、今は核家族が多くなっています。
昔ながらの「地域」も、名称だけは残っているものの、地域活動を鬱陶しく思ったり、時間に追われて協力できなかったりと、様々な理由で「地域」のつながりもなくなりつつある、もしくはそもそもない、といったところも増えています。
それにより、今の子どもたちは、いわゆる「子ども社会」の経験がかなり希薄です。
そのうえ、少子社会によって、おとなは、子どもに目と手とお金をかけられることができるようになっています。
その分、昔は手が回らなかったことまで、おとなの手が回るようになり、過保護だったり過干渉だったりの中で子どもが育ちがちです。
確かに子どもはかわいく、おとなが守ってあげなければいけない部分もあります。
ですから、一人の子どもにできるだけ、手をかけ、目をかけ、可愛がって、甘やかして育てようとします。
ですが、子どもを甘やかすことと、受容することは、ちょっと違う気がします。
子どもは、共感してほしいとは思っていますが、おとなになんでもかんでもやってもらいたいとは思っていません。
病気をしないように、ケガをしないように、と、先回りして大人が危険をすべて取り除くことで、その時は、確かに病気もケガも回避できるかもしれません。
しかし、同時に、子ども自身に、病気に対する抵抗力やケガを回避する能力を身に付けさせないと、いつまでたっても、抵抗力もなく、ケガを回避できないままです。
病気やケガによって、直接、地球上のウイルスや雑菌を胎内に取り込むことで、抗体を作り、それらが抵抗力になっていきます。
長期的な視点で見たとき、子どもにとって必要な力とは、いったいどういうものなのでしょうか?
病気を発症しないような抵抗力や、大きなケガを回避する能力は、病気やケガを避けることで身につくわけではありません。
急がば回れ、といったことわざがあるように、本当に子どもにとって必要な力を身に付けてあげたいならば、おとなは短絡的に目の前のことだけを考えずに、長期的な視点にたっての関わりが必要なのではないでしょうか。
病気やケガだけでなく、例えば、遊びにしてもそうです。
子どもに辛い思いをしてほしくないがために、失敗しそうなことはあらかじめ排除することで、その場は失敗避けられます。
しかし、それでは、いつまでたっても、失敗をしないように先の見通しを持って自分で考えて行動することはできません。
子どもは失敗から学びます。失敗を経験することで、その時に感じた気持ちをまわりの大人に共感してもらうことで、立ち直り、次は失敗しないように気をつけるようになっていくのです。
ですが、おとながその機会を奪ってしまったら、どうでしょう?
徐々に、失敗そのものを恐れるようになり、何も行動できないようになっていきます。
こういったおとなの過保護や過干渉は、実は様々な精神疾患や発達障害と密接な関係があります。
それについてはまた別の機会に・・・。