現代は情報社会と言われるように、様々で膨大な情報が飛び交っています。
インターネットの普及とともに、個人が入手できる情報は、飛躍的に多くなりました。
テレビや新聞や雑誌・書籍などだけでなく、インターネット上の情報を家にいながら、また、出先でも簡単に入手できます。
インターネットが手軽にできる携帯電話も普及していますから、誰でも簡単に、必要な情報をすぐに入手できます。
本当に便利な世の中になったものですね。
情報が多いことは、とても助かる反面、どの情報が正しいのか、どの情報が自分位とって必要なのか、その見極めが難しくなってきます。
あっちでは黒と言っていたものがこっちでは白だと言われる。
そういう経験ありませんか?
情報は、使い方次第で、自分にとってプラスにもマイナスにもなりますね。
そこで、大事なのが、情報処理能力です。
どの情報が自分にとってプラスになるのか、今の自分に必要なのはどの情報なのか、それを自分で判断するしかないわけです。
その判断をするためには、常日頃から、自分の考えをしっかり持っておかなければなりません。
いわゆる「意志」ですね。
人間は自分の意志によって自分の行動を決めます。
ですが、この意志が十分に育たないまま、おとなになってしまうことがあります。
いわゆる「指示待ち族」といわれる社会人もこれに当てはまると思います。
どうしてそのような育ち方をしてしまうのでしょうか。
様々な原因があると思いますが、大きな原因のひとつとして、それまで意志を尊重されてこなかった、逆に言えば、意志を尊重される経験をしていないことが挙げられるのではないでしょうか。
自分の人生は、自分で歩んでいくしかありません。
周囲の人々に支えられ、助けられますが、決定するのは自分にしかできません。
ところで、意志はいつから芽生えるのでしょうか。
これはみなさんびっくりされると思うのですが、実は生まれたての赤ちゃんでも備わっているのです。
例を挙げれば、授乳です。
生まれたての赤ちゃんは、誰に教わるでもなく、お腹いっぱいになったら乳首から口を離します。
これは、「おなかいっぱいだから、もういらない」というサインです。
生まれてすぐの赤ちゃんですら意志があるわけです。
まぁ、学術的に言えば、それを意志とは言わずに、本能の枠に入れてしまうのかもしれませんが、私は人間である以上は、意志があると認識しています。
そうやって、赤ちゃんが意志表示をするのに、過干渉なおとなは、マニュアルという情報だけに頼って、「○○cc飲まないと!」と言って無理やり飲ませようとするわけです。
これって、意志を尊重しているとは言えませんよね。
生まれてまもなくから意志を尊重される機会は十分にあるわけです。
それなのに、意志を表示することが短絡的に「わがまま」であるとか、「悪い子」であるとか間違った認識をされると勿体無いですよね。
特に、乳幼児期は、自分の意志をしっかりと持ち、それを適切に自分の人生に生かしていくことの基礎を身につける時期ですから、この時期に、おとなが過干渉になったり、一方的に知識やルールを注入したりするのは、とても勿体無いことです。
勿体無いどころか、「自分のことを自分で決める」という力を奪ってしまうことにもつながります。
誤解のないように書きますが、自分の意志を表示するには、最低限のルールは必要です。
他人に故意に迷惑をかけないことや、傷つけないこと、危害を加えないこと、命に危険のあるような行為をしないことなどのルールの上でのことです。
保育園というところは、人間の一生にとって大事な乳幼児の時期です。
人格形成での時期でもあります。
人生の基礎になるわけですから、保育にあたっては、子どもひとりひとりの「人生」というスパンで考えないといけないわけです。
私たちは、いつも、目の前の子どもたちが「大人になってから」どうなのか、を頭に置きながら、長期的な視点から保育にあたっています。
それが、保育の義務だと思います。