この数年、「気になる子」という言葉があちこちで出てきます。
いわゆるじっとできない子や発達が偏っている子などのことを遠まわしに言う表現なのですが、この「気になる子」というのは、どうもおとな主体の表現のような気がしてなりません。
おとなから見て「気になる」わけで、それが子どもの発達を専門的にみた上での考えならまだ理解できますが、どうもただ「おとなの言うことをきかない」とか「思い通りに動かない」とか大人の都合で見ての言葉のような気がします。
そして、何を基準に気になっているかというと、子どもの月齢に応じた発達の平均的なものを目安に、それに達していない場合に「気になる」わけです。
確かに、月齢ごとの発達の目安は、子どもの発達をみていく上で、目安としては有効的なものですが、それはあくまでも目安であって、発達のスピードは子どもそれぞれで違います。
親からすると心配ですし、遅れているんじゃないかと不安になることも多いと思います。
一番不安になるのは、誰よりもその子どもの親であるわけです。
ですが、近年、発達障害や気になる子だという言葉が、さまざまな所で耳にするようになり、専門的な知識もなくケアも出来ない人が、やたらとこれらの言葉を使っては知った顔で発言することが多くある気がします。
専門的な知識もなく、マニュアル本を見ただけで、子どもを判断し、決めつけ、やたらとすぐに検査をしたがったり、なにかしらの診断名をつけることに躍起になったり・・・。
その結果、親に対して負担を強いるばかりで、まともなケアもできず、虐待や育児不安を煽るだけにつながってしまっていることは否定できません。
確かに、子どものためを思えば、早めに苦手なところを発見し、それをケアしていくことがとても大事です。
ですが、親の受容もなしに、「子どものため」だといういかにも素晴らしい名目を掲げ、やたらと色分けしようとしている所が目立ってます。
行政にしてもそうですし、幼稚園や保育所・学校などでもそうです。
本当に子どもの発達を考え、子どものためを思うプロならば、いかに親の不安を取り除きながら、負担をかけずに、前向きに子育てできるようなケアで子どもの苦手な部分を補うやり方をやっていくのが、本当のプロというものではないでしょうか。
もちろん、私を含め、うちのスタッフたちは、まだまだプロと呼べるほどのものではありませんし、発展途上ではあります。
ですが、プロとしての意識だけは、常に忘れないようにしています。
親を追い詰め、子どもを追い詰め、色分けして診断名をつけることが、本当のプロの仕事でしょうか?
それが本当に子どものためでしょうか?
プロとして、もう一度、「プロということ」、「本当に子どものためということ」、そういったことを特に行政と同業者には考えてほしいものです。